正義の人びと 公演情報 オフィス再生「正義の人びと」の観てきた!クチコミとコメント

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    面白い、お薦め。
    物語は、二十世紀初頭(1905年)のロシアで起きた事件がモデルになっている。原作はアルベール・カミュ、それをオフィス再生が独自の演劇的な観せ方によって 重い内容を抒情的とも思えるような公演にしている。
    事件は、圧政に苦しむ何万人の人々を救うために一人の人間を殺す。その人を殺せば何万人もの人が助かる。その「正義」とは、を問うもの。同じ年、ドイツのマーネスが著書「保険論」において「一人は万人のために、万人は一人のために」という名文句を書いている。書かれた背景や状況は違うが、「一人」と「多数」を並(比)べて考察している点が興味深い。

    オフィス再生の公演は、深い内容を緊密に紡ぎ、照明や音響といった舞台技術で効果的に観せるという印象を持っていた。本公演も例外ではなく、さらに六本木ストライプスペース(初めて行った)という会場の構造的な空間を上手く利用し、より印象深く観(魅)せてくれた。勿論、心地良い緊張感を持ってである。
    登場人物は、カミュ以外は女性キャスト、だからこそ「僕」という表現によって立場、考え方が鮮明になってくる。
    (上演時間1時間45分 途中休憩なし)

    ネタバレBOX

    会場は地下、中央に階下に降りてくる折り返し階段(客席に向かって降り、途中で反対方向へ降りる)があり、全身が見えることはない。正面から見ると階段柱が十字架のようにも見える。奥に装置が見えるが、何を意味しているのか。多くの姿見があり、その角度によって人物の見え方も違う。一人の人間の多面性であり、物事の捉え方の多角性を表しているようだ。階段脇に丸テーブルにポット、椅子が二脚あるだけのシンプルなセット。ここはテロリストのアジトという設定である。

    物語は、四部構成のように思う。
     第一は、二十世紀のモスクワ。ロシアの圧政を憂い、革命を志す若者たちが、権力の象徴であるセルゲイ大公の暗殺を企てた。詩人カリャーエフ(岩澤繭サン)は、人民に素晴らしい人生が訪れることを信じ、大公の馬車に爆弾を投じる大役を申し出た。一方、過去に拘束され獄中で拷問を経験したステパン(加藤翠サン)は、憎しみこそが任務遂行上 重要であり、自分こそが適任であると主張する。ドーラ(あべあゆみサン)はカリャーエフに言う「爆弾を投げる時、大公もあなたと同じ人間だと知る」と。世界を揺るがす革命の息吹が渦巻く中、大公を乗せた馬車が走り出し…。血気盛んな若者の行動が中心。
     第二は、綿密な計画、しかし馬車に子供が乗っており想定外の状況によって、爆弾を投げることを躊躇、断念した。アジトに戻って総括をする中で、意識の変化を見せる仲間。その濃密な会話が「正義」とは、というテーマに繋がっていく。「子供など関係なく決行すべき」「革命が全人類の憎しみの的になる」「人民のために戦っているというが、その人民が自分たちの存在なんか知らないのでは」と議論は続く。しかし、リーダー・アネンコフ(磯崎いなほサン)は「再決行する」ことを告げる。爆弾製造が怖くなったヴォワノフ(嶋木美羽サン)は後方支援へ願い出る。人間(弱さ)らしさも描く。テロリストの議論は核心に迫らず、決行を前提に物語が展開していく。
     第三に、決行後のカリャーエフと大公妃との牢獄越での(手紙?)話。夫(大公)は人民を慈しんでいたが、同乗していた子供たちはそうではなかった。個人という観点なのか、為政者という立場として判断するのかを表すシーン。多くの姿見によって、人物や物事の捉え方の多面性・多角性を見事に表現している。同時に、テロリストとして「自分自身を見つめること」そして誰のための「正義」なのかを深く考えさせる。愛と憎しみの間を揺れ動きながら、最後は爆弾を投げ、処刑される道を選択した。
     第四は、処刑されるまでの様子を聞くドーラ…物語の真(心)情的な核心に迫るもの。ゆっくり階段を昇るカリャーエフの姿が見えなくなり…。

    物語は、大公という個人の殺害を中心にしているが、真は「専制政治を殺す」ことで「人民の幸せを得ることであった」。「正義」は多数(立ち位置)で判断するのか、だれが正義だと判断するのか、それは今なのか後世(時代)なのか一様ではない描き方が、観客の脳内を刺激し思考を求めてくる。宗教色も見え隠れするが、国家体制・社会を正面に据えた「大義」「正義」を確かに考えさせる骨太作品だ。

    キャストの迫真演技。赤や青といった原色で強烈な目つぶし照明、壁を叩く苛立ちであり鼓舞するような音、そしてピアノの旋律。眼前で繰り広げられる光景、しかしその奥で黙々と作業している男の姿が気になる。勿論、物語を綴っているであろうカミュ(長堀博士サン)が物語の世界に入り、問い掛けをしてくる気配は感じられるが(視覚に入ると、どうしても気になる)。暗闇にペンライトを照らし、カリャーエフへの語り掛けは観客への問い掛けでもあるような…。
    次回公演も楽しみにしております。

    0

    2022/07/03 11:03

    0

    0

このページのQRコードです。

拡大