映像鑑賞
満足度★★★★
「ケストナー」「藤田嗣治」に続き今作も映像での鑑賞となった。
前作より構造がシンプルで、この著名な小説家・エッセイスト・ジャーナリストの「内側」を覗けた。二つの軸があり、一つはインドとの関わり、一つは彼が影響を受けた、マーレー・コンスタンティンと名乗る作家(これは作者の創作だろうか)。男性と思わせて実は女性であったこの作家は、ナチスが世界を征服した近未来を描いた処女作で文壇に衝撃をもたらした(オーウェルの「一九八四」を連想させる)としているが、作者は彼女をオーウェルの前に姿を現わし、女性が己自身を名乗って生きる困難さを語らせ、問いを投げかける。同時にオーウェルもその当事者となる「闘い」の同志とも見える。
インドとの関わりは、イギリス政府がインドにおけるナチスの暗躍=ラジオ放送を使った反政府(反植民地)気分の醸成に対抗し、ラジオ放送の作家としてオーウェルを招いた事で具体的な形をとるが、ラジオ局にはイギリス在住のインド人もおり、戦局や情勢によって彼らとの関係も変容する。インド生まれのオーウェルは植民地経営を担った父親がおり、彼らにとってはイギリス人・政府を代弁する立場に見える。時代は反ファシズムの機運、インドでもガンジーらが独立運動により意思を表明している中、「戦争が終れば英国政府はインドを解放する」という前提が共有されているが、何が本当かは分からない。
大日本帝国の台頭も彼らの視野に入って来る。インドの独立派の中には日本をアジア解放の旗手として歓迎する動きがあった(既に対米開戦、マレーシア・インドネシアを落としている)。だが、英国内だけでなくインド本国でも英語を「強要」されている状況に疑問を呈する「反植民地主義」を採るラジオ局内の友人も、日本のアジア進出を歓迎する動きを始めようとしていたが、もう一人の友人である女性が、朝鮮半島の植民地化を例に「解放どころか、自分らの言語と名前を朝鮮人に強要している」実態を告げ、相手を苦悩させる。
口角泡を飛ばす演技が、舞台にメリハリを付けているが、中津留作品に通じる議論劇の要素は、外国を舞台にしたフィクションである事で馴染んでいる感じも受ける。