吾妻橋ダンスクロッシング 公演情報 吾妻橋ダンスクロッシング実行委員会「吾妻橋ダンスクロッシング」の観てきた!クチコミとコメント

  • 皆勤賞
    2004年から始まったコンテンポラリーダンス中心のこのお祭り、今回で何度目になるのだろう。最近では年末に開催されるHARAJUKU PERFORMANCEや富士山アネットのEKKYOUなど、似た企画も増えているが、これはその先駆的な存在。いつも大満足というわけではないが、それでもとりあえず初回から欠かさずに見ている。

    ネタバレBOX

    今回の出演は10組。インスタレーションのChim↑Pomだけは舞台ではなく、トイレで作品を発表。会場であるアサヒ・アートスクエアのトイレはもともと遊び心に溢れているので、そこへさらにちょっかいを出した形。男湯女湯なら色気もあるが、男女トイレの「交流」というのはちょっと・・・

    出演順(だと思うが記憶があいまい)にざっと感想を書いておく。

    ハイテク・ボクデス「無機ランド」はタイトルが示す通り、人間は登場せず。動きのあるインスタレーション、あるいはほとんど美術作品といったほうがいい。プログラムには出演の順番が書いてないので、最初はこれがChim↑Pomか飴屋法水の作品かと思った。動く仕掛けがいろいろ。マネキンのカツラが浮き上がって落ちる。ダッチワイフにコスプレをさせたような空気人形が2体、奥の壁沿いを垂直に上昇。下手の壁に白黒まだらの照明が当たり、三つの鯉のぼりがこれも縦に上昇。その右手で回転する鉄棒大車輪人形。舞台中央では柱状に盛り上がるシャボン。扇風機を使ったバッティングマシーン。人がいなくてもダンスは成立するのか否か。そんなことをふと思う。

    contact Gonzo「(non title)」は初見。男4人による寸止めの喧嘩。ダンスでコンタクトといえばダンサー同士が体を接触させることを指すが、そのいちばん過激な形を追究しているのかもしれない。ときにはビンタの交換もある。しかし決して怒りという感情に流されてしまうことはない。激しく相手にぶつかりながらも、冷静に相手の動きを見定めている。服装は普段着だし、4人のうちの2人は坊主頭で一見ガラが悪そうだが、レスリングのようなスポーツ感覚が漂っている。もう少しマイルドな形では身体表現サークルとも通じるところがあるような気がする。

    チェルフィッチュ「ホットペッパー」は、過去にやった「クーラー」と似たタイプ。OL二人が派遣社員3人に変わっている。その意味ではあまり新鮮味がなかった。左右の女性は団扇を持ち、中央の男が持っているのが「ホットペッパー」という雑誌。台詞の内容は日常のありふれたものよりも、もっと面白さを追求してもいいのではないかと思う。伊東沙保が「フリータイム」に続いての出演。

    ほうほう堂「あ、犬」は今回、久々に活動再開した女性デュオの作品。以前はコンタクト中心だったような気がするが、今回はほとんど接触せず、むしろユニゾンで動くことが多い。正座で対面という形からスタート。動きというか仕草には康本雅子っぽいものをちらっと感じた。メンバーの一人、新鋪美佳はそういえば康本の「チビルダミチルダ」に出ていたし。

    快快は演出の篠田千明が現在、ドイツにいるらしい。で、作品というよりも余興的な催しを二つ。「ジャークチキン~それはジャマイカの食べ物」はタイトル通りに、料理を実演で作ってみせた。工事現場で使う排気装置で客席にかぐわしい香りを送ってから、続く休憩時間にジャークチキンのサンドイッチを500円で販売。私は買わなかったが、なかなかの売れ行きだった模様。もう一つの「GutenTag,Azumabashi!!!」は篠田のいるベルリンのようすを映像で紹介したもの。

    25分の休憩のあと、

    鉄割アルバトロスケットは5本の小ネタを連続で上演。音楽的なパロディが多かった。歌舞伎ネタでは拍子木や囃子を実演して、様式化された役者の動きをおちょくってみせた。シャンソン歌手のネタではシャレたステージの雰囲気を再現しつつ歌詞でボケをかまし、寝取られ亭主と間男のやりとりでは、台詞を徐々にミュージカル化していった。そのほか焼き鳥ネタでは有名タレントの麻薬騒ぎも串でチクリと。

    Line京急「吉行和子(ダブバージョン)」は初見。出演はチェルフィッチュでもなじみのある山縣太一と松村翔子、これに音楽担当の大谷能生が加わる。役者二人はそれぞれ客席に向かってしゃべりかけるというチェルフィッチュ・スタイル。だけど、前半に登場した本家に比べると、より音楽的だったし、動きも自由度が高そうだった。個人的にはこちらのほうがチェルフィッチュの進化形というか、よりアヴァンギャルドな感じがして本家よりも面白かった。

    いとうせいこうfeat.康本雅子「Voices」はEGO-WRAPPIN'の森雅樹によるギターその他の演奏をバックにして、いとうが9・11同時多発テロにまつわる詩を朗読し、康本がそれに合わせて踊るというもの。政治的な枠組みの中でおよそ政治的ではない康本のダンスが展開するというのがとにかく奇妙な味わいだった。ヘンな例えだが、説教をたれる伝道師の横で巫女が神を讃えて踊るという場面を想像した。

    飴屋法水の「顔に味噌」は、国籍もさまざまな20名近くの人物が出演。舞台奥にたくさんの椅子がずらっと横一列。そこに座った一団がときに並んだままで進み出て、それぞれの身の上やら思いやら、あまり意味のない断片的な台詞をしゃべったりする。宮沢賢治のヨタカの星とシェイクスピアのロミオとジュリエットのテキストも断片的に使用された。それ以外にはフェンシングのユニフォームを来た二人、もっぱらダンスをする女、舞台の前面に腰をおろして顔に味噌を塗る女などがいた。最後は見るからに舞台慣れしていない老人がマイクの前でカンペを見ながら台詞を読み上げて終わり。出演者の一人で、まだ来日してまもないという韓国の女性が、韓国人だからってみんなキムチが好きとはかぎらない、といっていたのが印象に残る。韓国人は気の短い人ばかりじゃないとも(笑)。飴屋法水の演出は「転校生」、「三人いる」、そしてこの作品と、いずれも素人を起用しているのが特徴的だ。フェスティバル/トーキョーに来日したリミニ・プロトコルとの共通点を思ったりする。

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    2009/09/12 23:02

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