9人の迷える沖縄人 公演情報 劇艶おとな団「9人の迷える沖縄人」の観てきた!クチコミとコメント

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    沖縄復帰50周年を総括する討論劇

     連続上演企画「沖縄・復帰50年現代演劇集inなはーと」の掉尾を飾る作品である。

    ネタバレBOX


     1972年の沖縄本土復帰を目前にとある新聞社で沖縄復帰を考える意見交換会が催される。新聞記者(仲嶺優作)の声がけで集まった8人は性別も立場も様々だ。冒頭から「本土復帰」ではなく「祖国復帰」が正しいと主張する独立論者(島袋寛之)は、太平洋戦争以前の琉球侵攻や琉球処分といった歴史的な文脈に言及し、貿易立国としての沖縄をいつか確立するべきだと主張する。それに対して復帰論者(犬養憲子)は沖縄返還協定を踏まえ、現状が本土なみに好転していくことを望むと主張し噛み合わない。沖縄語を話し組踊に秀でた文化人(宇座仁一)は本土復帰によって沖縄の文化が変わっていくことを懸念し、平和運動や基地反対派を馬鹿呼ばわりした本土人(当山彰一)と一触即発の事態となる。本土人は基地の経済効果を重視するが、それに疑問を抱く主婦(上門みき)が厭戦の意を示し、戦争で息子二人を亡くした老婆(伊禮門綾)は「悲しくなるさー」とつぶやく。

     平行線をたどる議論の合間に何度か休憩が挟まる。暗転とともに鳴り響くのは米軍機の飛行音。舞台が明転すると時間が急に現代へと移動する。じつは1972年の物語は虚構であり、現代の俳優たちが今度打つ公演の稽古中だったということがわかるのだ。「有識者」という役柄で出演している俳優(國仲正也)は稽古場にたくさんの本を持ち込み、創作への理解を深めるべく熱心に勉強している。共演者に沖縄の今後について問われ、物流・金融・観光を三本柱にシンガポールのような国にするのがいいと持論を述べる。それに対して若者役の俳優(与那嶺圭一)は、「そんな話したら日本に笑われる」「俺らはいつだって蚊帳の外」とシニカルであり、有識者役の俳優につっかかる。稽古場で立った波風は思いがけない形で彼らの創作に影響し、やがて有識者役の俳優がこの討論劇にのめり込む動機となったあるやりきれない事件のあらましが明らかになっていく。

     本作は沖縄の現代史をよく調べ各キャラクターに落とし込んだ労作である。しかもただ復帰前夜の出来事を描くだけではなく、劇中劇の手法で現代の視点を入れたところが効いている。現代のパートで沖縄復帰当時の声を「本土に復帰してよかったことは、パスポートが必要なくなったこと」「本土に復帰すると雪が降ると思っていた」とスライド投影して紹介しており、新鮮な驚きを覚えた。それに客席がよく反応している。おりしも返還の日を目前の上演で多くの地元民が集い熱気が溢れていた。私が観た回で文化人役の俳優が、1975年の沖縄海洋博では本土企業が全部金を持っていったと回想する場面で、ある観客が「ホントだよね〜」という声を漏らした。舞台で言及される歴史的事象について、臨席同士が解説し合うような場面も見受けた。硬派な題材をじつにアットホームな空間で観ることができたのは稀有な体験であった。

     私が惜しいと感じたのは1972年の劇中劇のパートと現代の稽古場のパートの差異づけが不徹底だった点である。現代の俳優が50年前の物語を演じることで見えてくることが本作の狙いだったろうし、現代の俳優が演じるうえでの戸惑いを述べている場面もあったが、終盤の軸となる有識者と若者の対立を中心に、劇中劇の役柄と現代の役柄がほとんど同じように見えてしまった。現代の俳優たちが50年前の自分とはまったく異なる役を演じるうえで役柄や作品に距離感を抱き、どのようにして役を、そして作品を理解していくかという葛藤をより深く描いたほうが、本来の狙いに近づいたのではないだろうか。

     また劇中劇での白熱した議論が稽古の休憩時間中にまで続き、あたかも新聞の社説や論壇雑誌の記事を読むがごとくに感じてしまった。たとえば現代のパートで俳優たちの生活を感じさせる描写(いつ稽古をしているのか、家族はいるのか、他にどんな仕事をしているのかなど)を入れることで、沖縄の演劇事情そのものを舞台に乗せることも可能であっただろう。そうすれば劇中劇のパートがより深い陰影を持ったのではないか。

     波乱ぶくみの公演がはけたあとに有識者役の俳優は若者役の俳優に声をかける。若者役の俳優は、自分は平和な時代に生まれたから平和を願う気持ちがわからない、それは誰かに壊されてからしかわからないのだろうと言ってその場を去る。「戦後」はいまでも続いているのだということに気付かされる重いひとことであった。

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    2022/05/26 15:46

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