-改訂版-汚れなき悪戯 公演情報 劇団桟敷童子「-改訂版-汚れなき悪戯」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

    夢中で観劇! さすが桟敷童子!
    とにかくうまく構成されているな、と感心してしまう。
    いくつかの「?」がうまく話をつなぎ、見事に独自の世界を描き出す。
    役者たちの温度の高さもいい。

    夢中で観劇した。さすが桟敷童子。

    ネタバレBOX

    映画の『汚れなき悪戯』は、私も劇中の少年たちと同様の小学生のときに観たのだが、捨て子で孤児になってしまったマルセリーノが、親切をした結果、天国に召されてしまうという、あまりにも理不尽な内容に涙し、憤りを感じたのを今でも覚えている。キリストに「マルセリーノ・パンと葡萄酒」なんて名前を付けてもらっても、うれしくないのだ。
    「奇跡」を起こしてくれるのならば、天国にいる母親を生き返らせるべきだろうと思った。

    しかし、劇中の山崎少年たちは、そうではなかった。映画に出てくる大男(キリスト)に願い事を叶えてもらいたいと思うのだ。
    今でも、映画音楽を聞いたり、一場面を思い出しても涙しそうになる私は、「えっ、そっち?」「それはおかしいよ!」と思った。しかし、彼らが本当に惹かれていたのは、実はさらに違うものだった。

    映画では、キリスト像が置かれている屋根裏部屋は、入ってはいけない場所であった。その禁を冒し、マルセリーノは入ってしまう。
    舞台では、マルセリーノと名付けた、少年たちがつくろうとしているモノは、扉の向こうにあり、山崎少年しか入れない。他の者は見ることすらできない。

    山崎少年は、映画の向こう、扉の向こうに何を見たのだろうか。
    なぜ、マルセリーノをつくろうとしたのだろうか。

    それは、「死」だったのではないだろうか。映画のマルセリーノが扉の向こうに行き、「死」によって希望を叶えてもらったように。

    山崎少年は意識していなかったと思うのだが、死に魅入られてしまったのだ。
    そして、その「死」の磁場のようなものに引き寄せられて、戦争が終わったのに、戦争の爆薬で大勢が死んでしまった、ひまわりが咲く地下倉庫に行き着いたのだ。
    ほかの少年たちも、それにうすうす感づいていたのかもしれない。
    少年たちにとって、「死」とは、身近でないだけに魅力的だったりするからだ。

    だから、マルセリーノ(少年たちがつくっているモノ)は、とても危険な方法、つまり、電車に10円玉を潰させた板でつくられるわけだ。轢かれてしまえば、人なんかはひとたまりもない電車に、10円玉を轢かせてつくるのは、刺激的であるはずだ。死と隣り合わせにある刺激。

    山崎少年は、マルセリーノについて、直感的によくないものであると気がつくのだろう。それを確かめるために彼のブリキの飛行船を欲しがった丸尾少年に、交換条件を持ちかける。
    そして、丸尾少年は死んでしまう。山崎少年は、マルセリーノの真実、自分が魅入られていたモノに気がついてしまい、恐ろしくなり、マルセリーノを妹とともに葬ろうとする。

    しかし、山崎少年は、大人になっても、マルセリーノの「死」と丸尾少年の「死」の呪縛から抜け出せず、マナルセリーノをつくり続けるのだが(周囲からはノイローゼと言われてしまう)、やはり死んでしまう。

    かつて山崎少年と一緒にマルセリーノをつくっていた重田も、会社を辞めさせられてから、山崎のマルセリーノづくりを受け継ぐ形でつくり続ける。
    かれも「死」の磁場にとらえられてしまったのだろう。
    山崎も、妹がときどき見に来るぐらいに、孤独だったのだが、それと同様な状況に重田もいたのだろう。

    かつてマルセリーノをつくった仲間たちは、普通の生活の中で満足しているので、マルセリーノは必要ではない。
    何か「負」の要素を持つ、少年や主婦、女性たちが、重田とマルセリーノの発する匂いに惹かれてマルセリーノづくりに加わる。
    しかし、彼らには「居場所」と「仲間」が必要なだけで、重田のように切羽詰まったところまでは行ってなかったのだ。

    死に魅せられた重田は、闇の中に飲み込まれていく。

    いないはずの丸尾の妹は一体誰(何)だったのだろうか。何を求めてやってきたのだろうか。山崎、重田のことを考えると怖い存在だ。

    切ない話である。死に魅入られてしまった者を救うことはできなかったのだろうか。

    「死」が「奇跡」であり、「幸福」なことであるという映画のラストとは違う、「死」から遠ざけることができるようなラストこそ、今、必要だったのではないかと思う。
    今回の舞台では、その点が唯一、残念である。

    山崎と丸尾の、それぞれの妹役が熱演であった。目がよかった。
    少年たちがつくっていたマルセリーノの不気味さもいい。

    セットの感じもいいのだが、10円玉を磨くときのギミックも素晴らしい。
    そして、桟敷童子らしい、オリジナルの歌がいい。

    それにしても、桟敷童子は、ひまわり好きだなぁ。

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    2009/08/17 04:19

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  • みささん

    コメントとありがとうございます。

    「死に魅入られる」ということは、「死にたくなる」ということではなく、「死に興味がわく」ということだと思うのです。それは自分の死ぬことではなく、「死ぬとはどういうことなのか」に興味がわくというか。子どもたちが知ってしまった、最初の入口が映画『汚れなく悪戯』だったのかも。もちろん、それが高じると取り返しのつかないことになるのですが・・・。
    そもそも、危険なものには知らず知らずに惹かれてしまうことがあると思います。
    例えば、高い建物に上がれば、危ないとわかっていても、先のほうに行って下を覗いてみたくなりますし、高速道路ででかいトラックの横を通ると、なんとなく車がそちらに寄ってしまうような、というか、ちょっと違いますか(笑)。

    ということで、山崎少年が死にたくなったわけではないと思うのです。ですから、途中で怖くなってしまったわけで。でも、丸尾少年のあんな末路があったにもかかわらず、結局はまたマルセリーノつくりを始めるので、「死に魅入られてしまった」と言ってもいいのではないでしようか。

    ちなみに、私も「死にたい」なんて思ったことはありません。ただし、200歳まで生きたいって考えたこともありませんが(笑)。

    おひげのあの方は、前にここを訪れた時も、丁寧に客入れをしてました。今回も、1人ひとりに冷房の音や席のことなど、丁寧に説明してましたね。
    あの方が中心になって、要所要所に配置された他のスタッフもテキパキ動いていて気持ちよかったです。一気に入れるのではなく、人数を確認しながら、座席を用意し、説明をしながら順番に入れていくというのが見事でした。

    2009/08/18 03:56

    やはり観てきましたか。笑

    >山崎少年は意識していなかったと思うのだが、死に魅入られてしまったのだ。

    ワタクシ、死に魅入られる、という感情がよく解らないのよね~。
    思春期に自殺を考えたことは一度くらいはあるはず!なんつってどっかの評論家がおっさっていたけれど、「それって自分だけやん!ワタクシ一度もないで。」って言ってやりたかった!笑
    そんなだからワタクシにとって「死」はものすっごく恐いもので出来たら近づきたくないです。
    200まで生きたい。201になったら、もういいかな?なんて。(苦笑)

    それにしても桟敷童子、本当に素晴らしいですね。
    あの料金であのセットも素晴らしい!しかもお髭の紳士が親切な案内をしてくらはりまして、気分も良かったです。
    最近、人から親切にされる記憶がないもので、クラっ!ときました。笑


    2009/08/17 14:02

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