実演鑑賞
満足度★★★★★
やはりこの団体にハズレはない
「良質な戯曲を取り上げ、上質な舞台創作を目指す」をコンセプトに、1970年代以降に書かれた日本国内の戯曲を上演している ことのはbox
今回は「上海バンスキング」で岸田國士戯曲賞を受賞し、時代の雰囲気を的確に描き出す斎藤憐の「ムーランルージュ」
1931年から20年間、新宿にあって赤い風車で名を馳せた大衆劇場「ムーランルージュ」を元にした、飢える中、生きるために、自分が自分であるために舞台に立ち続ける人々に捧げるラプソディ
舞台が舞台だけに歌あり踊りありで役者も大変だったろう
衣装替えの素早さも見ものだった
それぞれ味のある演技だったが、中心人物以外でGHQ将校ジェシー村中役の如月せいいちろーや舞台美術の佃光役の佐野眞一の個性的な演技がひときわ目を引いた
篠田美沙子の死んだ幼児を連れたつもりで劇場を回る姿も心を打った
久し振りに見た長年の付き合いの井上一馬が渋い演技をしていたのは嬉しかった
踊りは郡司聡美と中右遥日が際立ち、畠山はなのの表情が良かった
萬劇場をこんなにフラットに使った舞台は初めて見た
良く見ると後ろの方は「ムーラン・ルージュ」の舞台裏を細かく作りこんでいるが、逆に言うと殺伐とした感じ
手前はまさにステージだ
内容はある意味二重三重の構造になっていて、軍部の検閲が終わって自由になったと思ったらGHQの検閲があったり、占領軍将校の中でも日系人が差別されていたり、日本側も第三国人の問題が残っていたり(差別の複雑な構造)
さらには「占領」は「解放」なのか(米軍による、旧日本軍による)
その都度自分の視点もギアチェンジしていく
前半で気づかされたのは戦死した者(と生きて帰ってきた者)に対する考え
この間観た舞台の鴻上尚史が書いた台詞「生きている者が死んだ者にできることは死んだ者を覚えていることだ」はまさに昨日の天安門事件の舞台に当てはまったが、今日の舞台でも考えさせられた
後半ではやはり人種差別についてか
「用語集」が配布されたが、改めて自分の子供の頃にはまだ「戦後」の香りが残っていたと思う
「もはや戦後ではない」と経済白書の序文に書かれたのは1956年だが、60年代になっても敢えて言えば小学校の友人の中にはドブ板を渡って入るバラックのような長屋に住んでいた者もいたし、親や祖母からしばしば戦中戦後の話を聞かされていた
劇中出て来る東京大空襲についても
祖母は良く軍歌を歌っていたし・・・
(戦後すぐに亡くなった祖父は戦時中は率先して金属を供出し、戦後は闇物資をきらって栄養失調で都電の中で倒れたという)
休憩時間に隣の若い女性二人組の会話が聴こえてきたが、なんにも知らずに観ているの?という感じだった
でも考えてみれば昨日一緒に「5月35日」を観た25歳3人も天安門事件を知らずして臨んだわけだし、だんだんそういうことになるのかもしれない
願わくば舞台を観て様々なことを学んでその時だけでなく史実を記憶にとどめてほしい
2時間半に及んだが長さを感じさせず、今月は上質な内容の舞台を多く観られて嬉しい