ムーランルージュ 公演情報 ことのはbox「ムーランルージュ」の観てきた!クチコミとコメント

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    面白い! お薦め。
    戦後の「ムーランルージュ新宿座」での軽演劇やレヴューの上演という表舞台 とその劇場で生計を立てていた人々を描いた裏舞台、その二面性をもって戦後の世相を切り取った群像劇。ムーランルージュはフランス語で「赤い風車」を意味し、新宿座にも 実際 屋根に赤い風車があったらしい。ムーランルージュ新宿座のキャッチフレーズ「空気・めし・ムーラン!」には、人間にとってなくてはならないものという劇団の自負が込められていたとも…。

    物語は、戦後間もない頃の「ムーランルージュ新宿座」が舞台、戦禍で焼け野原と化した時代を背景に、生きること、作劇と検閲、恋愛といった話を織り込み飽きさせない。ただ、戦後の空気感のようなものが漂ってこないのが少し残念。

    物語は、新宿が焼け野原の時代を背景にしているが、チラシは今の新宿・・・高層ビル群が建ち並び、隔世の感といった風景(情)を表す。街の復興・変化はあったが、人の心にある差別・偏見といった意識はそう簡単に変えることは出来ないような…。
    表層的には華やかであるが、色々考えさせる事柄を点描しながら人間讃歌を謳った骨太作品。

    公演には、戦後の事情を反映した台詞も多く、そのために「『ムーランルージュ』用語集」を配付する心遣い。一読しておくと更に物語を楽しめる。
    (上演時間2時間30分 途中休憩15分)

    ネタバレBOX

    舞台美術は、レヴューの表場面と劇場での生活という裏場面を表すため、中央は大きなスペース、上手奥に二階部へ通じる階段、下に応接セット。同じく上手客席側に道具仕立用荷台、下手は作家の机1つ。表と裏舞台は、上部から垂れ幕を下ろし舞台空間を前・後で仕切るという簡単な仕掛け、観せ方で物語の流れを止めない工夫が巧い。勿論、当時のレヴュー衣装は用意出来ないが、(アンサンブルも含め)華やかな雰囲気を現し、一方 舞台裏の生活面は質素なもの。

    終戦間もない頃、赤い風車が目印の「ムーランルージュ新宿座」の幕が開け、篠原美雪(橋本愛奈サン)の歌(上手い)から始まる。彼女の夫・下向哲平(松浦慎太郎サン)は戦死したと思われていたが生きて、そしてGHQ米兵に襲われていた国枝静(石森咲妃サン)を助け新宿座へ帰ってきた。戦後、人々は「飢え」ていた。 遥冬子(中右遥日サン)が「一杯のお粥も食べらない子供たちが『生きたい』と言いながら毎晩死んでいくのに、死にたい奴に飯食わせたら道理が通らん」。子供たちとは「戦争孤児」を指すだろう。 飢えているのは踊り子たちも同様で 、馬場ナナ子(上不あやサン)は踊りの練習中に倒れる。「ちょっと目眩が」と答えるが、柿野園子(蒼井染サン)が「ろくなもの食べてないからよ」と。
    さて、公演に戦後の間もない頃の雰囲気、匂いを求めるのは酷なのだろうか。唯一感じられたのが、押田真喜子(篠田美沙子サン)が亡くなった子、その面影を追い続けている悲しい姿、そこに戦争の悲惨さが色濃く漂うが…。

    当時の日本人が「占領」をどのように受け止めていたか。 本作には、太宰治の戯曲「冬の花火」に関するエピソードがある。 新派が上演を申し入れたが、検閲で「CIE(民間情報教育局)が上演を不許可」にしたこと。戦時中の日本(軍部)における検閲の厳しさ、一方 CIEは民主主義・自由解放を掲げながら軍国色ある戯曲そのものは勿論、台詞の隅々まで検閲することを皮肉る。
    河西浩治(井上一馬サン)は、裏切り行為と思いつつも家族を守るため、日系人のジェシ―・村中(如月せいいちろーサン)に誘われて、CIEで、日本人が書いた手紙を翻訳する仕事を始める。が、やがてCIEを辞めたい言い出す。多くの封書を開けて読んだが、GHQが懸念した諸々批判するような手紙はない。占領軍の懸念・・・他国を占領したら、必ずレジスタンスが組織され、反米闘争を呼びかける手紙があると。しかし、そんな手紙は皆無で、あるのは生活が苦しい愚痴や泣き言ばかり、という誇りではなく現実だけ。むしろ日本(人)が恥ずかしい。

    一方、日系人ジェシー村中の自虐的な台詞……私たちは日本人に人種差別はいけないと言い続けているが、GHQでもトイレはカラードと白人は別。登場人物に台湾人がおり、日本人との間で差別扱いされていたが、それでも戦時中 軍夫になれたことは良かったという。一筋縄ではいかないのが人の差別意識の払拭だろうか。

    興味深いのは、敗戦後の日本人が、あの戦争をどう捉えていたか。 大道具担当・佃光(佐野眞一サン)は年長者で、時々辛辣な台詞を言う。今では人々が「軍部は日の丸掲げて、民衆を侵略戦争に送り出した」という決まり文句に、佃は言う「みんなで戦争をやったんだ。シンガポールが陥落した時うれしかった。一緒に日の丸振ってた人たち、あの人たちみんな心の底では戦が嫌だと思ってたのか」。佃は戦争中の庶民を代表するような役回りで、占領下における日本人の困惑した心情を吐露しているよう。

    下向は「日本は進駐軍の力で旧体制から解放されて自由を手に入れた」という言葉に反応して「外国の軍隊に占領されて自由になった?そんな話、聞いたことがない」と切り返す。また 「アジアの国々を真面目に侵略した」と言われ、「南の島で死んだ兵隊たちはまったくの犬死にだって言うのか。戦友たちがみんな死んで、生き残ったのが後ろめたい」と。大道具・佃や帰還兵・下向のような声は、今では直接聞くことは少なくなった。いや出来なくなったと言っても過言ではないだろう。だからこそ、小説や、戯曲として遺されたものの中に生きている、当時の人々の様々な思いを、汲み取っていくことが大切だ。

    公演の魅力は、表面的には華やかだが、その裏では生活に飢え渇き、心は疲れている。戦禍とコロナ禍を同一視することは出来ないが、それでも根底にあるのは、人は懸命に生きている。「どんなに辛いことがあっても舞台に出ればニッコリ笑って歌うの。」は、今の演劇界の意気込みに通じるもの。その意味で見事な作品選定だと思う。

    次回公演も楽しみにしております。

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    2022/04/24 10:22

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