いかけしごむ 公演情報 劇団俳優難民組合「いかけしごむ」の観てきた!クチコミとコメント

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

     極めて狭い劇空間で上演するにはもってこいの劇作品でもある。舞台美術は木製ベンチ、ほぼ直交する位置に易と書かれたぼんぼりを机上に置いた小机と対面に置かれた椅子。そしてベンチと机が為すL字型の適当な位置に置かれたスタンド灰皿。ベンチの背に近い位置にココニスワラナイデクダサイと大書された看板。出捌けは客席側通路から。

    ネタバレBOX


     ところでベンチは座る為にある。然し現実にこのような文字が大書されているという矛盾が単にブラックユーモアでなく「現実」である点に留意したい。今作初演は1989年、当時は未だベンチの構造は座る部分がフラットで現在のように座ることしかできないような構造ではなかったと記憶する。つまり我々の実生活のリアルが、今作の舞台設定に近づいてしまった。(座る部分に寝る事のできない障害物を設けることにより、その機能のフレキシビリティーを喪失することによって。一休さんの頓智に出て来る“この橋を渡るべからず”で端を渡ったユーモアではなく、現実問題のグロテスクが舞台美術にも表されている点で今作は極めて別役さんらしい作品だ)さらに物語の時刻設定が夜遅く設定されているので上演中の劇空間はかなり暗い、それで天井に付いている電話器のコードや通話部分は見えないのだが、途中イキナリ天井から垂れ下がる命の電話として観客に驚きとショックを齎す点も秀逸だ。
     今回易者役も務める女性言葉を用いる登場人物は男性が演じているが、この点もLGBTQが現実に社会的認知を得るようになった現在を予見していたかのようである。更に怖いのは、現実というもの・ことが、実は結構疑えるということなのだ。今作で描かれたように唯心論的立場を徹底すれば、一般的に通り易い、即ち検証可能なファクトを積み重ね、実証し続けた結果だけを根拠とし演繹と帰納の結果を事実と見做す科学的態度ではなく、世間に通り易い論理から逸脱せぬ範囲に総ての関連性を集約し、その常識的解を予め「正」とし、常識的解を常識と成らしめる予定調和的関係を盲信して結論を出すことが、唯一の正解であると予め信じ込んでいる暴論に真理が破れてしまう、というグロテスクである。この盲信を舞台上では、本来女性が演じたハズの役を担った者の信じた通りの1歳女児のバラバラ遺体が(サラリーマン兼発明家男性の主張した生烏賊ではなく)男の持っていたビニール袋から出て来る点、赤ん坊の泣き声と共にキチンと舞台上で表現されている点の演劇的リアルも素晴らしい。

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    2022/04/10 12:09

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