スメル 公演情報 キリンバズウカ「スメル」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

    やっばり、人は人と一緒にいたいんだ
    まず、なんと言ってもフライヤーがカッコいい。素敵だ。
    ここに惹かれた。

    そして、舞台は、フライヤーのように素晴らしいものであった。
    平日夜間に満席なのもうなづける。

    表面に見えるテーマ的なものだけではなく、その根底にある人の姿、特に現代に生きる人の姿・気持ちが浮かび上がってきた。

    ネタバレBOX

    冒頭の「東京都永住禁止条例」についの説明にあたるシーンで、「この説明っぽさは、どうかなのかな・・」と思ったのだが、フリーターの男と都の職員が同窓であることが観客にわかり、さらに葬式シーンが続き、「なんだ?」と思ったあたりから、作者の術中にはまったと言っていい。
    この展開、興味の持たせ方は、「うまいなぁ」と思わず唸ってしまった。

    「東京って人多すぎ」ってなことを言っている自分が東京にいて、まさに多すぎの人々を自分自身が形成している。
    「なぜ東京じゃなきゃダメなの?」と面と向かって訊ねられても返答に窮する人も多いだろう。
    そんな人たち(大多数の観客たち)の気持ちに、ざわっとした空気を送り込むような舞台だったと思う。

    東京一極集中、ゴミ問題に、介護や就職難なんていう今様のテーマと、親子の関係、男女の関係など普遍的テーマをうまく絡めて、テーマ、テーマしすぎず、見事に台詞で世界を紡ぎ出していた。
    台詞の息づかいのようなものがとても素晴らしいと思った。

    そんな表層のテーマとは別に、「人と繋がりたいのだけど、うまく繋がることができない人たち」の哀しさが舞台が進むごとにじわっとやってきた。
    人恋しさとでもいうのだろうか。
    だったら故郷に帰ればいいじゃないか、と言われても「いや、でも・・」と言葉は濁る。
    ゴミ屋敷の清掃で人々はかろうじて繋がり、お金や(危ない)仕事、芸能人になるなんていう淡い夢で繋がる。
    儚い繋がりと知りつつも、それにすがってしまうのだ。

    これって、捨てられないゴミとの関係にも似ているのではないだろうか。
    ゴミだから捨てないと、という気持ちと、いつか何かに使えるのではという気持ち。ゴミとわかっていてもつい拾ってしまうような。

    本編ラスト(?)でゴミ屋敷の女主人が泣き、「さて朝ご飯でも食べるか」と言い放つ強さにちょっと感動しつつ、本当のラスト、というか蛇足ともとられかねないラストでは、さらにもう一度、人が人と繋がりたいという欲求と、人との繋がりの危うさを、皮肉を込めて見せてくれた。

    台詞がよかったのだが、ゴミ屋敷の女主人の台詞も若者言葉にやや引っ張られているように感じた。普段あんなふうにしゃべっているのだろうか。ちょっとだけ気になった。

    前作とゆるい繋がりがあると知ってしまったら、前作も観たくなった。再演してほしい。

    蛇足だが、登場人物たちの名字が、1人を除きすべて世田谷区の地名だった。異なる1人というのが、娘の岡村。
    この疎外感は一体なんだったんだろうか。たぶん意味があると思うのだが。

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    2009/07/08 00:36

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