一枚のハガキ 公演情報 劇団昴「一枚のハガキ」の観てきた!クチコミとコメント

  • 実演鑑賞

    満足度★★★

    鑑賞日2022/03/19 (土) 19:00

     第二次世界大戦末期、松山啓太ら百名の中年兵士が招集され、兵士たちは上官のくじ引きで赴任先が決まる。その結果、行先がフィリピンと知った森川定造は生きて帰れないと悟り、妻にハガキを読んだことを伝えてほしいと一枚のハガキを戦友啓太に託す。過酷な戦況の中なんとか生き残った六人のなかに啓太はいて、やっとのおもいで故郷に帰ってみると、叔父から、お前はもう戦死したと思ったお前の妻は、親父とお前の妻ができていて、今はお前の妻はキャバレーで働いていると聞いて、逆上した啓太は、妻がいるキャバレーを訪ねるが、やがて意気消沈し、何もかも嫌になり、自身もなくし、叔父のところにしばらくの間居候しているが、心機一転、急に思いつきでブラジルに移住すると言い出すまでの流れやスピード感、啓太の感情の起伏や心の迷い、焦り、不安や恐怖、ショックからなかなか立ち直れない人間像などを丁寧に掘り下げ、深堀しながら時に感情的に、時に人間の弱さを見せつつ、啓太という人間をとことんまで突き詰めて、中西陽介という俳優が演じ切っていて演技派としての素質を垣間見せてくれて、とても良かった。ただし、もちろんこれは、脚色にも問題があるかもしれないが、休憩挟んだあとの劇の後半での中西陽介演じる啓太が戦争で夫を失くし、その後、小さな畑を守るためその弟と結婚するが、その弟も戦争で失くし、心臓発作で森川家の父は死に、その後を追うように森川家の母は自殺し、とうとう身寄りがなく一人になってしまった服部幸子演じる森川友子のところを訪ね、そこで友子の夫から託された伝言を言う場面までは良かったが、そこで身の上話をする場面や友子の連続して起こった悲劇、今は亡き、戦争で死んだ友子の夫の話、お互いの苦労話などを語る場面において、全然その悲惨さや、やるせなさ、悔やんでも悔やみきれないことなどが、あまりに森川友子(森川友子を演じる服部幸子に関しては、悲劇が折り重なっても強く生きようとする芯の強い女性をあまりに意識しすぎてから、劇の最初の方から基本的に感情の揺れ動きが分かりにくく、淡々とした口調で喋るきらいがある)と松山啓太を演じる俳優が割と、時々感情的な高ぶりを見せながら、基本的には淡々とした口調で、食事をしたり、水を飲んだりしながら戦争の悲惨さについて語るので、はっきり言って全然緊迫した空気が作れていないし、お互いに戦争を経験していろいろ思うところもあるはずなのに、言葉に詰まったりといったところがなく、流れるようにそれを演じる俳優が喋っていっているのには、リアリティに欠けるし、そんなことで戦争の悲惨さなんて伝わるはずがないと感じた。
     あと、泉谷吉五郎を演じる宮島岳史と松山啓太を演じる中西陽介の格闘シーンが、そんなにふざけた劇でもないのに、ドタバタコメディ風にやり合うのもどうかと思った。それに、泉谷吉五郎という人物は戦中は鬼畜米英お国のために、天皇陛下バンザイとかいって率先して街を仕切っていたのに、戦後は民主主義だとか言って完全に転向する浅はかだけども憎めないコミカルな人物として描かれるが、転向するにあたっては、戦争中と戦後では価値観に大きく隔たりがあるはずで、その本人の内心での焦りや葛藤など複雑な心情があるはずなのにも関わらず、泉谷を単なる道化キャラにしか見えなくさせているのには、脚色にも問題があるだろうし、泉谷吉五郎を演じる宮島岳史のこの人物に対するアプローチの仕方にも問題があると感じた。

    森川勇吉と森川チヨを演じた俳優は、はっきり言って演技が棒だったが、森川チヨを演じる林佳代子の自殺前のやや鬼気迫る演技は良かった。

     劇全体としてまず、兵士たちの上官が訓練の場では厳しいが、そうでない通常時は、途端に優しくなって酒を振る舞ったり、歌を歌うようせがんだりする、根は陽気で人の良い人物として描かれるが、それは絶対に違うと感じた。そもそも第二次世界大戦中における日本軍の上官というのは仲間のことを思いやったりする気さくな人間である可能性はほぼゼロだったと推測する。だからといって上官が怒鳴り散らし、蹴飛ばすだけが能のステレオタイプが横行していたかというと、それも違うと思うが、実際には上官というものは、中央から派遣されてくるわけで、そうするとその現地軍の事情など知る由もないので威圧的で、自分のほうが優秀だと考えている人の率が高いので、自然と態度がでかくなり、自分の気分次第で部下に言いがかりをつけたり、仲間同士で拷問させたりといった、非人間的で、計算高い人物だったのではないかと思われる。そういう意味で、今回の軍の上官の描きかたは相当に生ぬるく、見れたものではなかった。
     また、夫である森川定造がフィリピンに行く途中の戦艦が攻撃されて死んだというが、その辺りの描きかたが曖昧で良くないと感じた。写真や映像を多用するのは良いが、それも原爆やフィリピンでの戦闘、B-29戦闘機による東京大空襲などを上から俯瞰して撮っているものが多く、市街地に原爆が落ちた瞬間を蟻の目線で細かく見ていったりしないので、これをもし戦争を確実に経験した世代が見たら、どう思うんだろうと考えると、中途半端な映像を見せるのはどうかと思う。
     劇の構成として、途中度中、戦中と戦後を同時進行的に見せていくやり方は、非常に良かった。
    そして、劇の最後の方で、松山啓太が未亡人友子と仲良くなり、一枚のハガキと啓太が森川定造の伝言や定造との思い出がきっかけで互いに愛し、そしてこれからずっと2人で一から畑を耕し、生きられる限り行き続けよう、それが今まで、戦死した夫や夫の弟のため、亡くなったお父さんやお母さんのためにではない。死者は生き返らないんだから、せめて僕らが生きることが大事なことなんだ。戦争が2度と起こらない為にも、生きてゆくことこそが何よりも大事で、希望を持って歩んでいくことが大事なんだというようなことを言うが、そもそも戦友で森川定造のことを誰よりも知っているということ、そしてハガキを持っていたことがきっかけで恋仲に急接近し、発展するというのはいくらなんでも荒療治だし、無理がありすぎ、最後にこの劇の一番伝えたいことを啓太にあまりにもど直球に熱く語らせて終わるというのは、いくらなんでもこじつけ感があからさますぎて酷かった。

     劇の中で出てくる広島県有田神楽の演舞シーンと、フィナーレで賑やかな祭り囃子を出し、締めるやり方は上手いし、臨場感も、迫力もあって感動した。ただし、劇よりも神楽や囃子のほうが際立ってしまったのは、非常に残念だ。

     第二次世界大戦によってもたらされる惨劇やその後を描いた作品の筈だが、天皇の戦争責任や一般市民のお互いがお互いを監視しあう窮屈な関係、情報統制がなされ、不安を煽られ、他人を疑う険悪で生きづらく、軍隊の横暴、物資の不足等々制限が掛かり、毎日ビクつき、それでいて表にはそれを出さない重苦しい空気感が全然作品から滲み出てきていなかった。

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    2022/03/20 02:23

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