実演鑑賞
満足度★★★★
家庭内暴力、官憲の横暴、家族夫婦間の倫理の欠如など、日常社会の中に潜む非人道性を描いたドラマだ。オーストラリアの長老劇作家であるウイリアムソンが五十年前に書いたデビュー作という。
劇団俳小は三年前に「殺し屋ジョー」と言うアメリカのプアホワイのトレーラーハウスを舞台に殺し屋を描いた優れたハードボイルド作品を創りだしヒットした。今回は同じ路線で、悪徳警官ものだが、国がオーストラリアとなって味わいも違う。舞台はメルボルンのいかがわしい街の警察の分署。なれ合いの警察に染まり切った分署長〈斎藤淳〉のもとに新人警官(北郷良)が赴任してくる。分署長が、若い警官に警察学校では習わない現実生活の教育をする一日の物語である。持ち込まれる事件は、ドイツに出稼ぎに行っているうちにひどい男(八柳豪)にひかかって帰国、子供までできたが、何とか別れたいと苦慮する女(小池のぞみ)と、その相談相手の姉(荒井晃惠)が持ち込んでくる家庭内暴力からの逃走である。暴力的な夫が夜勤の金曜日の夜に家財とともに逃げようと引っ越し屋(大久保卓洋)を手配し、助平心から警官二人も手つだおうとしたところで夫が帰ってくる。
権力をかさに着て、自分では、在職三十年で一度も拳銃を抜いたことがなく、逮捕したこともないと警察生活の極意を説く分署長も人間的にも社会的にもいい加減だが、相談する方の姉妹も夫婦のモラルなど毛筋ほどにも考えていない。その社会の壊れ具合を象徴するように我関せずの引っ越し屋が次々と家具を運び出していく。その中で警官たちと夫、夫と妻の争いがあり、遂には殺人にまで発展する。
五十年前の本で、オーストラリアと言う国情もあってか、「殺し屋ジョー」のようなピストルを撃ち合う殺伐さよりも、現在の社会には遍在してしまった日常モラルの頽廃が、笑ってしまうような勝手放題なストーリーで展開する。古めかしくもあるが、今や、こういう事態は我が国でも珍しくない。俳優は俳優座から借りてきた斎藤淳と八柳豪が、さすがに動きもセリフの切れもよく、舞台を支える。俳小では若い警官役の北郷亮が、格段の進歩。大久保卓洋もとぼけた味を出している。女優陣はかなり苦しい。役に柱を通すところが出来ていないので、どこまで行っても不見転女の勝手でドラマに深く咬んでこない。
前作の演出が腕力型のシライケイタだったのに比べると今回の小笠原響はおとなしくまとめる方だ。まとまってはいるのだが上手の手から水も漏れる。プロローグの男女二人のシーンは、思わせぶりだが何のことかわからなかった。休憩なしの2時間。