水の行方、夏の端 -みずのゆくかた、なつのはな 公演情報 カオスカンパニー「水の行方、夏の端 -みずのゆくかた、なつのはな」の観てきた!クチコミとコメント

  • 実演鑑賞

    満足度★★★

    奇妙な設定、二項対立を思わせる台詞などが物語を難しく感じさせる。独特な世界観だけに選ぶ公演になる。悪くはないと思うが、観せる工夫が必要ではないか。団体としての作劇(方針、方向)があるだろう。勿論、その転換を求めることではなく、台詞回しによってもう少し分かり易くなると思うが…。
    (上演時間1時間35分) 

    ネタバレBOX

    舞台は、前(客席側)と後を仕切るような壁、中央に行き来できる硝子戸のようなものがあり、2つの異空間を繋ぐ。壁には蔦のような植物が見える。

    物語が紡がれる場所が、分かり難い。冒頭、舞台奥の施設から逃げ出し、説明にある激しい嵐の夜、町の人に救われる。この場面が客席側の空間で描かれる。空間が違うことで、物語の場所や時間等が異なることを表している。さらにロボット・しのめ(龍澤利恵サン)が私たちは死んだ(壊れた)の?と助けてもらった人に問うことによって、来世と現世の狭間にいるような世界観も示す。物語では季節が廻るが、どれくらいの時が経過しているのだろう。が、それほど季節の移ろいは感じられない。

    ナノマシンに係る技術開発は、その方向性の違いからか研究機関の上層部もしくは政府によって危険視される。搭載したAIロボット・しのめは、技術(保護者)的な役割を担った男・小笠原芳信(トモリト・シユキ サン)と共に逃避行へ。それが冒頭シーンである。そこが地続きの地球なのか、また衰退した未来なのか、観ている世界観がはっきりしない。SFらしい不思議な世界の表出とも言えるが、何となく落ち着かない。科学的な装置も出てくるがレトロのような。そこに今いる処と研究施設の新旧という対比を出しているのか?

    物語では、二項対立を思わせる場面や科白が散りばめられている。セットにしても2つの空間は科学技術研究所のようであり、一方は長閑な町。舞台奥は人工光景であり、前面は植物がある自然風景。登場するのがロボットと人間。会話は、科学的な専門用語と哲学的な思索を思わせるーーロボットの製作ではなく、生むとなり、作りではなく育てるーーに言葉が置き換わる。科学的な話の中に哲学的な会話が挿入され、何を話しているのか混乱しそうだ。そして、しのめ が走り回る姿が、幼い(旧型)=教育をイメージする。

    女性の姿をしたロボットであるが、AIの自己進化にしても ここまで人間と同一化した描き方では、SF世界観の不思議さが十分楽しめない。説明にある「小さな人々の贖罪」とは何を意味するのか、自分では疑問符が付いたまま。世界観をもう少し鮮明にし観客を物語の中へ招き入れ、同時に専門的用語の多用は控えて分かり易い言葉=台詞回しにしてほしいところ。
    次回公演も楽しみにしております。

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    2022/03/06 21:59

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