ふうふうの神様 公演情報 劇団桟敷童子「ふうふうの神様」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

    この世でない何処か
    色鮮やかな紅葉のセット。会場に入るとその光景にしばし、圧倒される。
    舞台は運動会のシーンから始まるが、そこに融合する導入音楽も流石。

    客席は超満員!

    以下はネタばれBOXにて。。

    ネタバレBOX

    睦子と之成の一人息子が運動会の日に神隠しに会ってしまった。両親は一心不乱に探したが、見つからない。かつての睦子も幼少の頃、神隠しにあって異界で暮らしていたが現(うつつ)に戻された経緯があったことから、睦子は自分が身代わりになって息子をこの世に戻してもらおうと考えた。

    睦子の実家のある神隠し里(隠れ里)に睦子は戻り、ここで、村の童と知恵遅れの童にあう。後にこの3人の童がふうふうの神様(人戻しの神)と人隠しの神ということが解るが、ここまでの話の展開は絶妙で睦子の実家がある隠れ里そのものが異界で、睦子の実家も異界での隠されたマヤカシの家族と解る。つまり、異界に連れて来られた人達が家族のように振舞っていた。という筋。
    後半、この里に住む人達は自分が戦時中に置かれていた状況を話し出し、その当時の人たちなのだと理解できる。
    マヤカシの世界にも人が居る限り、愛憎劇はあってそれゆえに人を殺す。
    どっちがこの世でどっちが異界なのか錯覚してしまうシーンはうつつと異界を繋ぐ場所に見張り番のごとく居る山吹アヤメのセリフで効果的に想像させる。
    最後のシーン、睦子と息子が紅葉狩りに来た所に、かつての夫・之成が記憶喪失のように登場するが、3人はお互いを覚えていない。
    しかし、睦子も之成も懐かしい相手を見たように振り向く。この場面が実に印象に残り、絶妙なのだ。

    つまり・・・どっちがうつつでどっちが異界なのか・・・。
    そんな錯覚を目眩がするほど行ったりきたりするが、結果、之成の居るのがうつつなのかと思う。
    もしかして、この芝居がうつつで観客が異界か・・・?
    などとほくそ笑んでしまうのです。

    物語と言い、人物設定といい、とにかく不思議感いっぱいの懐かしい香りのする素晴らしい!舞台でした。

    6

    2009/06/24 17:02

    0

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  • あきら>

    >村での家族は幻でしたから、せめてあの3人の親子だけは・・・って思いたくもなります。

    はい。同感です。
    しかし・・・3人ともお互いを憶えていないってのも謎ですよね。
    中学生の学生服に目深な帽子・・・これって成長した息子ですよね?
    ワタクシはそう思った。
    神隠しにあってもそれなりに成長していた息子が最後の場面で小学生に戻ってる。
    これだてものすっごく謎ですねん。
    いあいあ、脚本家にやっぱり聞いておくべきでした。
    次回、根掘り葉掘り聞くつもり!(^0^)


    2009/06/28 11:14

    みささん

    確かにおっしゃるように、物語の作り方が巧妙だと思います。観る楽しさがあります。

    それと、確かに「もしかしたら家庭を持ったことも幻なのかも。」というセリフがありましたね。村での家族は幻でしたから、せめてあの3人の親子だけは・・・って思いたくもなります。

    そう言えば、神隠しに遭った子どもは、途中で出てくるときは、帽子を目深に被り、顔を観客には一切見せず、ラストでは見せていたというのもずっと気になってました。これもまた意味ありそうで・・・。

    2009/06/28 04:29

    あきら>

    >ラストの薄汚れて出てきたのは、私も「うつつ」だと思いました。彼だけが本当の意味で唯一のうつつの住民でしたし(息子もかな?)。

    ですよね~。。良かった!同じ感覚で。
    息子が行方不明になってから相当の年月が経つのに息子は当時のままでした。

    >ところが、奥さんのほうも忘れてしまっている・・・この部分が受け取り方によっては、いろいろと解釈できるの幅とか余地みたいなものを観客に与えたのだと思うのです。

    はい。ワタクシ、思うのですが・・・山吹アヤメの言葉に「もしかしたら家庭を持ったことも幻なのかも。」というセリフがありましたが、そんな予感も漂っていて、本当にワクワクドキドキの連続でした。
    いあいあ、この劇団、本当に巧妙に物語を作りますね。感服しました。


    2009/06/26 10:12

    みささん
    私のレビュー読んでいただきありがとうございます。
    また、過分なお言葉、恐縮です(笑)。

    ラストの薄汚れて出てきたのは、私も「うつつ」だと思いました。彼だけが本当の意味で唯一のうつつの住民でしたし(息子もかな?)。

    神隠しに遭った者は、戻ってくるときには、自分の名前も含めてすべてを忘れる、という設定でしたから、彼は忘れてしまっているのでしょう。
    ところが、奥さんのほうも忘れてしまっている・・・この部分が受け取り方によっては、いろいろと解釈できるの幅とか余地みたいなものを観客に与えたのだと思うのです。
    そのあたりもうまいなあと。

    2009/06/26 04:14

    あきら>
    貴方の詳細なレビューを確認させて頂いてからワタクシのレビューをUP致しましたっ!(^0^)
    相変わらずの素晴らしいレビューに頭が下がると同時に、似たようなレビューにならないように苦悩しましたよ。(苦笑!)
    だって、アレ以上、何を書けというの?(^0^)

    はい。あのラストで全ての夫婦の思いが刻み込まれていたような気がします。
    あの場面が未来に繋がるような余韻も残し、ばっさりと終わる。
    素敵な終息でした。

    終盤の異界かうつつか?ですが、薄汚れて森から出てきた之成の居るのがうつつなのかと思いましたが、あきらさんはどう思われますか?

    2009/06/25 12:09

    こんばんは。アキラです。

    やっぱり、ラストのあの場面は良かったですね。同感です!
    桟敷童子って、いいですよねぇ。

    2009/06/25 04:34

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