ふうふうの神様 公演情報 劇団桟敷童子「ふうふうの神様」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    森にふうふうの神様がいた最後の時代
    今回は「笑い」の要素がまぶしてあり、ちょっとだけ印象が違っていた。
    その笑いがすべて当たりというわけではないのだが、いいアクセントにはなっていたと思う。
    相変わらずの熱演、そしていつものような重苦しさもあり、伝奇モノ的な要素もありで、やっぱり桟敷童子だった。

    毎回、驚くシカケがあるのだが、今回どんなシカケがあるのだろうという気持ちでついつい観てしまう。でも、スズナリではここまでだろう。
    だけど、あの狭い舞台を立体的に、奥行きまで見せる技(美しいセット)は、やっぱり桟敷童子だ。

    ネタバレBOX

    客入れ時に、体操着姿の役者たち。「こんな話なのかな?」と思っていると・・・さすが、いつも掴みは見事。続くストーリーの重さが、まだ何なのかはわからないまでも、運動会の子どもたちの叫びに乗って伝わってくる。

    設定が、70年代末〜80年代初頭頃の九州(北九州?)のどこかなのだが、たぶん、この地域におけるこの時期が、異界という存在が許される最後の時代だったのだろう。
    かろうじて「神隠し」が違和感なく存在する、最後の時代。

    ただし、その神隠しについても、古い伝承ではない。
    神隠しに遭った人たちがいる異界では、楽しく運動会が行われていると言い伝えられていて、その神隠しに遭った人が戻ってくるように、家の軒先に吊るしてあるのは、玉入れの紅白の玉なのだ。

    小学生の子どもが失踪してしまった夫婦が、妻の実家である村を訪れる。ここは、神隠しの村で、妻もかつて神隠しに遭ったという。1人戻ってくれば、1人が代わりに神隠しに遭う。妻は自分が異界に行く代わりに、神隠しに遭ったと思っている子どもを取り戻したいと考えていたのだ。
    村には、何かが欠けている数家族が暮らしている。
    そして、妙にけたたましく、馴れ馴れしい子どもたち。
    「神隠しは最後の希望」というような台詞は、子どもを失った夫婦にとって、とても辛くて重い台詞だ。

    村の真実と神様たちのことが明らかになってくるあたりから、重苦しさの加速度は増す。
    そして、「なぜ、夫婦には村が見つからなかったのか」「子どもたちに一緒じゃないと村に行けなかったのか」が明らかになり、「なるほど!」と。
    この話の収束の仕方が、好きなのだ。

    この世と異界は紙一重であり、家族の関係も紙一重である、それが白日のもとに晒されていく。
    しかし、信じるべきものがありそうな予感を与えてくれる、幕切れが鮮やか。
    この感じが好きだから、桟敷童子が好きなんだ。

    「神の介在しない(人間による)神隠し」として「戦争や革命」などが挙げられていたり、森が伐採されて、裸になっていく様に合わせて2人の子どもが寒がる、というエピソードがあるのだが、そこのあたりは、少し消化不良。

    また、浮かばれない者(死者)たちが家族のように暮らす村は、執念・怨念のようなものが根底にある場所であり、この村と異界(神隠しで連れて行かれる場所)との関係は、村が異界への入口であるということがわかってくるのだが、そのあたりの設定とその収まりどころが、すっきりと整理がついていないように感じてしまった。
    観ている側の受け取り方の問題なのかもしれないが。

    さらに言うと、笑いの要素に「薄毛」が何度も使われていたのだが、結果、哀しい話につながるだけに、あそこまで何回も使わなくてもよかったのではないかと思うのだが。
    そして、やはりオリジナルの歌もほしかった。

    で、次回もとても楽しみなのだ。

    4

    2009/06/23 04:37

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  • コメントありがとうございます。
    tetorapackさんのほうにも書き込ませていただきました。

    「薄毛ギャグ」ですが、私はちょっと笑いを無理矢理取りに行ってるというところが、嫌な印象として残ってしまったので、あえて書きました。

    全体の流れから言えば、実に些細なことなのですが、そうした些細なことが舞台全体の印象を方向付けてしまうこともありますので。

    2009/06/25 03:33

    アキラさん
    私も今しがた、「観てきた!」をアップし終え、それまではと我慢していたアキラさんのネタバレ欄を今、開けました。

    いやいや、私も長く書いてしまいましたが、アキラさんもまた長文。すごく楽しく読ませて頂きました。
    それと、最後のご指摘
    >笑いの要素に「薄毛」が何度も使われていたのだが、結果、哀しい話につながるだけに、あそこまで何回も使わなくてもよかったのではないかと思うのだが。そして、やはりオリジナルの歌もほ しかった。

     これはまったくもって同感です。私のコメントでは触れませんでしたが、たしかに「薄毛」をあそこまで何回も同じようなウケ狙いで使うのは、この作品には不釣り合いと思いますね。私は感動冷めやない間にウーロンハイをやりながら書きましたので、いや、忘れちゃいました。でも、わすれちゃうほど、大した意味を持たない使い方でしたね。

     あと、今では懐かしい部類に入る歌謡曲をBGMや山吹アヤメ役の椎名りおさんが歌ったのは、私はフィットしていたと思いましたが、これも、オリジナル曲が加わってもよかったかも。

    2009/06/25 00:36

    tetorapackさん
    どうご覧になるのか、「観てきた」を楽しみにしています。

    2009/06/24 05:54

    tetorapackです。
    「やっぱり桟敷童子」ですか。あー、よかった。
    「でも、ちょっとだけ印象が違う」ところを興味津々で、私もまもなく観てきます。
    「ネタバレ」欄は、その後に開きますね。

    2009/06/23 17:41

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