いらないものだけ手に入る 公演情報 兵庫県立ピッコロ劇団「いらないものだけ手に入る」の観てきた!クチコミとコメント

  • 映像鑑賞

    満足度★★★★

    ピッコロ劇団は「かさぶた式部考」か「常陸坊海尊」のどちらかを東京で観たのが唯一で、今回配信情報をたまたま目にした。土田英生による気になるタイトルの作品(演出も)という事で拝見した。ロミジュリのモチーフを借りつつ、地球外に作られたコロニーのとある喫茶店を舞台に「民族対立」の帰趨を描く。遠くに地球が見える。地球では35年戦争というのがあって(ナウシカの「火の七日間」みたいな?)、それ以前の歴史はかなりあやふやという設定で、その後生まれた民族の一つである「コチ」と「マナヒラ」が今地球では戦争中。コロニーにも二つの民族の末裔が居るが、民族主義の静かな高まりがある。
    西暦○○年、といったワードは出て来ない。「今や本物のオレンジジュースは地球でも飲めないらしい」という会話、舞台奥に時折浮かび、コロニーからそこそこ近い事を教える地球の映像、天井の高い喫茶店の壁の上の方になぜか洋風のバルコニーがあって、地球上を焼き尽くした35年戦争以前(有史以前という響きに近い)、シェーク、スフィアーとか言う人の書いた「ロミとジュリの物語」という作品をモチーフに喫茶店が設計されているらしい等と説明する古代文学研究家、そのバルコニーに貼られた「カフェ内は中立の場所です」という注意書きなどのヒントにより、とある未来のこの場所の相貌が現われてくる。
    地球ではコチとマナヒラが戦争状態にあっても、コロニーでは物理的な戦争の要因(利益を取り合う関係)はないが、劣勢の反動か、コロニーの「コチ系」の一部によるナショナリズムの高まりがある。喫茶店で開かれるコチ史の勉強会にも、その素養のあるメンバーにより不穏が持ち込まれ、無用な対立と憎悪にメンバーが巻き込まれそうになる。だが、不可逆な流れかに見えた過激化は、先導者が暴力容認の構えを見せたあたりでメンバーの離反に合い、やがて地球での戦争終結がダメ押しとなって過激分子は目標を完全に失う。
    悪い流れを「止められた」ストーリーにはホッとする。しかし何気なく高まって何気なく終息した彼らの「風邪」は、私たちの国では肺炎にまでこじらせ、治る気配が見えない。
    しかし終わってみれば、この芝居の物語を貫通するのは一つの恋愛の顛末であった事に気づく。成就しない恋愛の、一つの形であるが、示唆的。この芝居では男の「結果を得たら冷めてしまう」性質を、恋愛の終結の要因としているが、民族紛争に盛り上がる者たちの風景と無縁でなく見える。本人らの一途な思いは家同士の紛争を障害としながら成就へ向かって果敢に前進するも、行き違いと勘違いで両人命を落とすロミジュリ。障害が炎を燃やす恋のその障害がなくなったら、という段階まで描いた本作のラストはほんのりとは言えやはり悲しい。「ロミジュリ」への遠回しのオマージュとなっている。

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    2022/02/15 02:35

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