宮城野(東京公演) 公演情報 劇団あおきりみかん「宮城野(東京公演)」の観てきた!クチコミとコメント

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    Cチームを拝見。あおきりみかんには珍しい外部脚本による本公演。
     江戸三大飢饉の一つ、天保の大飢饉は、為政者の放埓・腐敗を同時にあらわにした。(追記2.14)

    ネタバレBOX

     物語は、天保の大飢饉(1833年から数年に亘る大飢饉)が人々を襲い大塩平八郎が大阪で乱(現行暦で1837年3月25日)を起こした後、江戸麻布で春を鬻ぐ宮城野の部屋で展開する。
     ホリゾント中央に出捌け。板上、下手奥に衣文掛、上手奥に鏡、部屋中央に酒器を載せた台、下手観客席に近い所に鉄瓶を掛けた火鉢。終始舞台上の明度は低く蝋燭の灯りが煌めく程である。この明度の極端な低さは、時代の混迷と昏さを象徴しているのは明らかだ。陽の光は未だ差すものの既に午後3時か4時頃から翌朝に掛けての宮城野と謎の多い高名な絵師・東洲斎写楽の弟子・矢太郎を巡る人々が描かれる。登場人物は宮城野と割りない仲の矢太郎の2名。写楽の謎を実に上手く溶け込ませて練り込んだ脚本を、現代風に言えばジェンダーの問題として表現してみせた考えさせる作品である。開演前に既に宮城野は部家中央に座し観客に背を向けている。せせらぎが流れるような音が続いている。
     明転すると矢太郎と宮城野。酒が進まない矢太郎の様子は、どこかいつもと違いおかしい。宮城野は、矢太郎の払いは総て肩代わりしている仲なのでこの辺りの感覚の鋭さは、当然であるが、この直後“人を殺してきたんじゃないか”との疑念をぶつける。イキナリ佳境に入ってくるのである。この脚本が素晴らしい。
     ところで宮城野は遊女である。先に説明したように天保の大飢饉は数年に亘って続き多くの餓死者を出した。殊に東北での飢饉は凄まじく日本最大級の餓死者を出した。貧農の娘は女衒に買われ遊女として売られた者が多い。そんな事情もあってか、出身地は詳述されない宮城野も一般的には当時の日本で最も苦労を強いられた女性の一人であったということができよう。つまりジェンダーとしては、現在でも続く男性中心社会の周縁部に追いやられていた女性の中にあっても、その最下辺に位置する階層に属していたと考えられる。そんな状態に置かれれば大抵の人は、余りの絶望の深さから総てを諦めやけっぱちの人生を送るか、奴隷の如き精神状態を呈する者が圧倒的に多かろう。然るに宮城野は、追い詰められた者を放っておけないという極めて人間的な美質を保つことによって、破天荒で救いの無い人間とは一線を画していた。その深い淵源を彼女自身気付いて居ないかのような筆致で物語は紡がれてゆく。然し、物語の進展に連れ、彼女の行為の原点が幾重にも仕組まれたどんでん返しの内に明らかにされてゆく。そして遂に彼女の為していることが人間全体に対しての贖罪のような形で現れる。つまり一般に膾炙した話としては、キリストによる人類全体に対する贖罪と全く同質のものとして提起されているのである。
     男社会の齎した矛盾や破綻のツケを担わされ続けられてきた女性全体を、演劇では宮城野という個人で代替して描いている。序盤で指摘した通り、明度の極めて低い照明は、昏い時代とその昏さを生きる人々の心・魂の闇を表しているがその昏い照明の中、実に効果的に音響が用いられていることも特記しておきたい。開演前に聞こえるせせらぎのような音も、劇中響く凄まじい落雷の音も暗いままの照明も総てが、差別されそれを為さしめてきた男性社会の不条理性とこれら負の遺産を何とか持ちこたえてきた女性の魂が上演中何度も聞こえる澄んだ鈴のような音で示される。無論、これは宮城野の魂の音として示されているのであるが。
     物語の詳細については、ここで詳述することは控える。1966年に矢代清一氏が発表した作品をお読み頂きたい。



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    2022/02/13 10:12

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  •  皆さま
     ハンダラです。東京公演お疲れさまでした。
    追記、アップしました。ご笑覧下さい。
                     机下

    2022/02/14 15:56

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