実験シリーズその1 『境界』 【追加公演決定】~これが最後のチャンスです~ 公演情報 劇団夢現舎「実験シリーズその1 『境界』 【追加公演決定】~これが最後のチャンスです~」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    演劇はどこから始まるのだろう。つまり、その「境界」どこにあるのだろう?
    観劇は、ふつうは客電が落ちて、幕が開いたりしてから始まることが多い。
    ところが、今回のこの観劇(舞台)は、チケットが届いたところから始まっていた。

    そういう意味での「境界」と「実験」を意識させる企てに、思わずにやりとした。

    ・・・いつもの通り。詳しくはネタバレにだらだら(恐ろしく長く)書いてます。

    ネタバレBOX

    チケットはなぜか大きな封筒で届いた。
    「?」と思い、開封すると、なんと今回の舞台の企画書(!)と小さな手形のような木製の手作りのチケットが入っていたのだ。わざわざ私の名前まで入れて。

    私は、とても愉快になったので、その労力に敬意を表して、チケットに麻紐を通して、首からぶら下げて会場を訪れた。
    さらに希望すれば、前日に役者から電話までしてもらえると言う。私はスケジュールが不明確だったので希望しなかったのだが、前日にはメールが届いていた。

    そして当日、チケットをぶら下げていたのだが、劇場はうっかり通り過ぎてしまった。なぜなら、白衣風の男が学習塾らしき建物の前に立っていたので、ここは当然違うだろうと思ったからだ。
    これが、この奇妙な「境界」に踏み入れてしまった第一歩だったのかもしれない。
    あとでわかることなのだが、舞台に立つ役者たちが観客を直接迎え入れていたのだ。やっぱり「境界」という舞台はすでに始まっていた。

    なんでもOKの客席という設定も、観客&客席という空間の「境界」を意識させるのには十分だった。

    「境界」について「実験」と称して行われるいくつかのエピソードは、それほど意外性もなく、特に最初のいくつかは、ちょっとガッカリした(例えば、鏡とか出所とか・・)。

    とにかく気になったのは、そこここに、どことなく昭和レトロ的な匂いがするところなのだ。というか、なんとなく微妙なところがあるのだ。

    例えば、「エレベーター」の話で、「シンドラー製」みたいな台詞が入るのだが、「今それを言う?」と思ってしまう。古くもないけど、新しくもない微妙な台詞。それを言うのはかまわないのだが、それに対してのフォローのひとひねりが足りない気がする。

    「出所」のところでの「シャバ」から「ジャバダバシャバダバー」と歌うのには苦笑しか出なかったし、同じく出所のところの「政治家・・・」と言葉を濁すのも同様だ。
    また、「男と女」のところでは、間にマットを敷いてそこを前転、後転、飛び込み前転などが繰り広げられるという、とてもナイスな展開があるにもかかわらず、締めの音楽が野坂の「黒の舟歌」(「男と女の間には〜」というアノ歌)が流れるのには、「残念」の言葉しか脳裏に浮かばなかった。「ベタすぎて、それはないよな〜」と思ってしまったのだ。・・・ま、若い観客には新鮮さがあるのかもしれないけど。

    こうした匂いが、確信犯的に行われているのかどうかはわからないのだが、確信犯的な使い方ならば、なんとかフォローみたいなものがあったり、徹底してそのセンで責めてくれれば、言うことなかったのだ。

    ひょっとしたら、この劇団はある意味「真面目」すぎるのかもしれない。真面目すぎる展開なのか?

    しかし、退屈だとかつまらないという感覚はなく、結構楽しんだのだ。

    一番面白かったのは、観客との「境界」がなくなった(客いじりとも言う)部分だった。
    いいちこを注ぎにきたり、ピザのくだりなどだ。
    たぶん、15人という少ない人数で役者に密接に向かい合うということから、こんなことを想像してきたからかもしれない。
    というより、せっかくの、この接近性を活かさないテはないのだから。

    その「境界」は、客席と舞台との間にある格子が示していたようだ。それが上がることで、舞台が少しだけ、こちら側にしみ出してくる。

    「境界」という意味では、「眼鏡も一種の境界?」(実験を演じているとき以外全員が眼鏡を掛けている)という台詞を受けて、ラストは、観客との境界がどうなっているのかを含めて、眼鏡を掛けているのか、いないのかをはっきりさせて欲しかった(まちまちだったので)。

    とは、いうものの、先に書いた観客との「境界」であった格子が元の位置に降りてくるときには、驚くべきことに、役者全員が格子のこちら側にいるのだ、つまり観客側に。
    そして、観客にお尻を見せる形で舞台側に挨拶をする。
    それはとても象徴的なラストシーンではないだろうか。

    さらに、舞台での演技が終わり、客電が点いたところで、役者の皆さんが、ピザを勧めたり、ドリンクを注いでくれたり、お手拭きを持ってきてくれたりする。

    これが本当に舞台と観客の「境界」が消えた瞬間である。
    演劇そのものの「企て」として、「観客との境界を消すこと」を意識した上での、今回の「境界」という舞台を選択したのかどうかはわからないが、劇団の観客への真っ直ぐな想いは、確かに「境界を消しつつ」あった。

    最後に、個人の名前が入った封筒を渡され、「実験のレポート」という名の「感想」を送ってくださいと、切手付きの返信封筒まで渡された私たちは、このレポートを書いて提出するまでも、今回の「舞台」の中なのだろう。

    会場を出て、今体験した出来事を反芻しながら帰宅するのだが、そのときにこりっちに書くことが楽しくてしょうがない私は、やはり星の数を考えてしまう。
    舞台の上で行われていたことだけを考えると、星3つかな、と正直思った。

    しかし、飲んだリンゴジュースやピザの味を思い出してもう1つ増やすことにした(ある意味本当で、ある意味冗談)。
    ホンネで言えば、その味に込められた、この劇団の真摯な、生真面目ともいえる姿、すぐ目の前で演じる役者のまなざしに打たれている自分がいたのだ。
    そして、「境界」について演じている舞台の「境界」そのものが拡大して、観客をも包み込むという様は、愉快としか言いようがなかったのだ。

    だって、木製の手形チケットの上に付いていた玉が割れてしまっていたのに気がついた受付の方は、「割れてしまっているようなので、お取り替えします」とまで言ってくれたのだから。チケットは、入場すれば終わりのはずなのに「修理」しようとしてくれるのだからね(ちなみに割れていたように見えた玉は、私がボンドですでに修理していた・笑)。この不思議な感覚は、今回のコンセプトが劇団の根底に流れるコンセプトとマッチしていたのだろう。

    どうでもいいことだけど、お菓子や飲み物の用意をして待っているということに、童話の『泣いた赤鬼』を思い出してしまった。それって、鬼と人間の境界を越えて、人間と仲良くなりたい鬼の、泣けちゃう話なんだよね。

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    2009/06/11 04:15

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  • ひなつさん

    コメントありがとうございます。
    私なんぞの感想で劇場にお運びいただくとは恐縮です。

    おっしゃるとおり、舞台そのものには「遊び」の部分が足りないような気がします。
    私は、今回の全容(ここには「遊び」の要素はふんだんなのですが)に共感して、楽しんだのであり、そういう意味では実際に劇場で行われていたコトには、そこがもっとあると楽しかった思います。

    それは、内側からか外側からかはわかりませんが、「殻」のようなものを突き破る何かが必要でしょう。
    2回目を見た感想も書きましたが、今回の追加公演によって、「突き破る」ための産みの苦しみ(あるいは楽しみ)のようなものがあったのではないかと推測するのです。
    そこがまた「真面目」なのですが(笑)。

    2009/06/28 03:46

    アキラさんの、ネタバレ以外の感想を読んで、すぐさま予約して観てまいました!

    ほんと、真面目、でしたよね。もちろんそれは「真剣」に作っているという意味で高く評価したいのですが、公演趣旨的には、もっと遊びがあってもよかったように思います。

    2009/06/27 23:28

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