チェーホフも鳥の名前 公演情報 ニットキャップシアター「チェーホフも鳥の名前」の観てきた!クチコミとコメント

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    観応え十分、お薦め。
    演劇としてのモキュメンタリーといった公演。登場する人物・家族等はフィクションであるが、サハリン(樺太)という 地の出来事、その歴史はドキュメンタリードラマとして構成されている。単にサハリンにある街と人々の暮らしを描いたクロニクルではなく、演劇的要素をしっかり取り込んでおり、上演時間3時間はそれほど苦にならなかった。

    約100(1890-1980+α)年のクロニクル、当日パンフに第1幕~第4幕と幕間における時期・場所そして登場人物を表した人物相関図が書かれており、物語の展開における系譜はそれほど混乱せず観ることが出来る。サハリンは「北海道の宗谷岬から約43㎞北にある島」だというが、行ったことはない。ほとんど知らない 地、その場所における激動の歴史ーー視点は、そこで暮らす人々の日常的で平板な営みの中で捉えている。またパンフには年表もあり、切り取った場面だけではなく、その前後の事件や背景を知ることで、物語で描こうとした意図が分かってくる。第1幕目には、以降の幕に繋げる系譜を表すため、すべての人物(全キャスト)を登場させ、なるほどと思わせる大胆な幕開け。(物語の展開:樺太→サハリン)土地の繋がり、人の血の繋がりといった、いわゆる地縁血縁を知ることで、自ずと「土地」や「人間」が主人公であることが分かってくる。物語は特定の主人公を定めることなく、市井の人々の営みと時の流れによって重層的に立ち上がってくる。そして記録写真やスナップ写真を適宜映し出し、その時々の光景を見せることで事実を突き付けるという巧さ。もちろんシーンに合わせた生演奏や生歌が叙情豊かにしている。
    (上演時間3時間 途中休憩10分)

    ネタバレBOX

    舞台美術…第1幕(ポチョムキン邸)は、中央に大きな簀子状の平台があり、その上にテーブルと椅子が数脚。平台の所々に草が生えている。後ろには大きなスクリーン。下手に演奏ブースがあり多くの楽器とスタンドマイクがある。第2幕以降はテーブル等の配置を変え、描いている時々の場所の光景になる。セットを作り込まないのは、約100年という時の流れの中で情景・状況は常に変化し、舞台としての視覚で印象を固定化させない狙いがあろう。

    物語は1890年ロシア領時代、ポチョムキン邸で この家の娘・ナターシャと刑務所長デルビンの結婚式の場面から始まる。しかし第2幕(1923年)で、ナターシャは毛嫌いしていた塩川正十郎と結婚し、娘マーシャを産んでいる。ナターシャとマーシャは、母・娘とも山岡美穂さんが演じ、第3幕以降も血の繋がりが分かるような配役になっている。さて第1幕目に作家チェーホフが登場し、結婚式に招かれ祝福している。ちなみに第2幕では宮沢賢治として、両作家を千田訓子さんが同じ役割ー第三者目線で観察している。その存在は、強烈な作家性を描くというよりは、その地で暮らしている人々との交流が主。あくまで市井の人々が主役である。舞台(板)上がフィクションの物語だとすれば、スクリーンに映される映像はドキュメンタリー(時代背景・状況)で、特に戦時中のものは生々しい。演劇と映像、フィクションとドキュメンタリーといった異なる要素を上手く融合させた見事な公演。また舞台中央に大きな白幕を広げ、その裏で役者が激しく動き回り人影(絵)で臨場感ある戦闘表現。さらに系譜の流れに沿った(具体的)ドラマだけではなく、幕間(1945年 日本領時代)や第3幕(1945年12月)では、戦時・終戦を経て大きく変わった環境(状況)を、夫々の家族の変化に重ね合わせて切々と語る。薄暗い中へのスポット照明、その光の中で心境を吐露する。モノローグ、ダイアローグと形態は違うが、確かな心象風景が浮かび上がる。独白・対話者以外の全員が簀子状の縦・横の辺に並び眺めている。確かに眺めている様子であるが、本当は心中は同じとの意味合いか。この時にサハリンの風景や家族写真が映され事実ー歴史が刻まれる。

    この地には、ロシア人、日本人、朝鮮人、ニヴフやアイヌなどの北方民族、様々な人々が住んでいたという。しかも囚人まで説明するといった「人間描写」に驚く。しかし国家間の思惑や戦争によって人々は翻弄された。国ー領土という概念によって地名はもちろん統治方針等が変わる。しかし人々の意識や暮らしはどうなのか。統治者やそれに近い人間は立場等によって態度が急変するかも知れない。が、多くの人々はその地に愛着を持ち、願わくば多民族のまま暮らしを継続したいような・・・。台詞に長い年月の中で、結婚によって「日本人になった」「ロシア人になった」とあるが、民族・人種そして人間とは?を考えさせる。劇中、チェーホフの「三人姉妹」「桜の園」を読んで、「(夫)教訓がない」、「(息子)主人公は誰か?」といった字幕が映されるが、それこそが、この物語を暗示している。

    この物語を抒情性あるものにしているのが、多様な楽器の演奏と生歌であろう。黒木夏海さんの憂い、または潤いのある歌声、そして登場人物に関わりのある選曲(例えば「星めぐりの歌」(宮沢賢治 作詞/作曲)など気が利いている。
    演劇(物語)には終わりがあるが、サハリンーその地で暮らしている人々は今現在も続いている。スクリーンには、1980年代以降のことも字幕で伝えている。
    次回公演も楽しみにしております。

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    2022/01/29 16:11

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