SURROUNDED ALWAYS 公演情報 年年有魚「SURROUNDED ALWAYS」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★

    多くの要素で紡ぐ、見る/見られるという関係
    少人数のスペースだから、どこかの家庭がそのまま再現されているようで、でも壁に展示されている作品によって、それがどこでもない「ここ」になっている。不思議な空間だった。

    青年団を思わせる、時間の超越がないリニアなワン・シチュエーションの作品
    でかつ、いわゆる「劇的」なセリフがない作品。そのためすっと作品に入っていける。

    お互いに理解してもらいたいのだが、その表現が歪な夫婦。つまり相手を見たいし、相手に見てほしい。この相互的な感情を、見る/見られるという直接的もしくは間接的な要素で表現している。

    ネタバレBOX

    タイトルの「SURROUNDED ALWAYS」の意味が明確に分かるのは、弟がリビングにつけられた監視カメラを発見する時だが、誰かに見られたい、もしくは何かにつつまれたいと欲する妻の動機と、妻の結婚の動機は、エンディングの理由だけでは分かりにくい。妻の結婚の動機は誰にとっても不可解なまま終わる。作者には分からせるつもりはないのか知れないが、見る者が想像できる範囲を、これでは制限してしまう。
    おばあちゃんがつくったセーター=個人性から、普通のセーター=個人性の消滅へ。結婚=夫の視線という個人性から、デッサンのモデル=不特定多数からの視線(ただ田中の視線は個人性はあるものだが)へ。この経緯を普通にとらえるならば、結婚に意味は見いだせない。結婚によって誰かから見られることは多くなっているはずなのに、デッサンのモデルを始める妻。夫自身もなぜ妻が自分と結婚したのか、わかっていない。この不可解さが夫に監視カメラを買わせる。そして見る者にも不可解さは残る。監視カメラを買うほど、この夫婦には様々な意味でのコミュニケーションは存在しないのか。もし存在するならば、それでもヌードを含むデッサンのモデルを始める妻の見られたいという欲望は、どれほど強いのか。

    いろいろと疑問が生じるし、その疑問は作品の中の要素だけでは解消されることはない。そのことはこの作品では、深さにつながるのではなく、不親切さに近いのではないかと思う。

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    2009/05/30 23:28

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  • ご来場、そして、温かいコメントありがとうございました。

    「不親切さ」には、私自身も今後の課題としているところでした。
    改めて、課題に取り組んでいくべきだと思わされ、コメントを拝見しました。

    これからも気にして頂けるような作品作りをしてまいります。
    今後ともどうぞ宜しくお願い致します。

    森下雄貴

    2009/06/14 21:23

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