実演鑑賞
満足度★★★★
敗戦後、アメリカ統治下におかれていた沖縄は1972年日本に返還される。その二年前、1970年に米軍基地のあるコザで反米デモが暴動に発展した事件があった。今につながる日米関係の問題点が噴出したようなその暴動の一夜の数時間を描いた一幕、二時間足らずの作品である。最近トラッシュマスターズ以外見なくなった正面から政治的な事件を素材にした社会派問題劇ではあるが、この事件のころまではしきりに上演されていた左翼系の昭和社会派劇とはかなり趣きが違う。論点の多い上演だが、そのいくつか。
まずは芝居としてどうか。
作者が青森在住の畑澤聖吾、演出が大御所の栗山民也、製作がなんと!ホリプロという異色の組み合わせ。バランスのとりにくい座組だが、ここは、劇場が少し大きすぎたのではないか、と言う以外は、よくまとまった一幕ものになった。
正面に大きく窓を造った舞台は、窓の外の光と煙で暴動の推移が背景としてよくわかるという利点がある。タイトルのhanaはその窓がある二階のバーである。
物語は、バーに集まった沖縄にそれぞれの思いのある登場人物たちが織り成していく。戦争の場にもなり占領という特別の経験をした「地元民」の体験や思いは、本土から来たルポライターや、脱走米兵などを使って上滑りしないように組み込まれている。主人公はこのバーの女主人(余貴美子)で、戦時中の孤児だった男の子二人(松山ケンイチと岡山天音)を育て、一方がぐれて沖縄やくざ一方は教師、という設定だ。大技は女主人公が失った女児が沖縄の霊として登場させている(上原千果)ことで、これが女主人公にしか見えない。
もともと芝居つくりには長けている畑澤の本は、この設定と登場人物を使って、本土と沖縄に生きる人の間の生活に根ざす微妙な行き違いを細かく掬いとっている。そこに今につながる「オキナワ」の問題点もしっかりと提示している。俳優たちは健闘で、ことに余は久しぶりの主演だろうが、松山ケンイチ同様、抑制が効いていてなかなか良かった。演出はベテランだからこの広い舞台で俳優たちをうまく動かし、本の細かい仕掛けを生かして、声高な反戦ドラマにしないで最後まで持っていったのはさすがだった。沖縄方言は全くついていけなかった経験があるが、このドラマではいいバランスでセリフになっている。こういうところで「うまさ」が出てくる。「沖縄」を素材にして歴史事件劇を超えて現代の人間劇になっている。
芝居の周囲。
コロナ禍の中で沖縄の新株の拡散が話題になっている。ここでも、この劇が指摘する沖縄問題はまだ続いている。本土との関係だけでなく、海に囲まれたこの国でも国境問題は生活問題として厳しく実在することを改めて感じた。時宜を得た切実な社会問題に広く触れているところがいい。
ホリプロが突然、このような芝居を大劇場で打ったのはなぜだろう。ロビーではメアリーポピンスをはじめ英米ミュージカルのポスターが林立している、違和感は否めない。入りは一階で七分と言う感じで、よくはない。しかし、演劇の狙いとしては座組も成果も成功している。現在、ストレートプレイを軸とする大きな劇団で、この規模の企画を成立させることができるのは新感線、四季、プロダクションではSIS,興行会社では東宝に松竹位で、どこもこの企画だと二の足を踏む。それは経済を考えれば当然だが、そこへホリプロが入ってくれば大きな劇場のジャニーズ頼みの企画にも少しは新しい展開が望めるかもしれない。