『水』/『青いポスト』 公演情報 アマヤドリ「『水』/『青いポスト』」の観てきた!クチコミとコメント

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    「青いポスト」観劇。二本立て公演が多い劇団だが制作的にもこれが合っているのだろう。思い出せば昨年の二本立て「生きてる風/豚に真珠..」の後者も観ていたのだった。こちらは「生..」を観るつもりで予約し、都合が変って日時変更したら演目も変わりall女子の「豚」の方を観たという顛末だったが、今回も蓋を開けるとall女子芝居。
    主役と身内以外の人物たちは関係性も判らないが(もっとも判った所で..という感もあるが)、芝居の勘所はフィクショナルな設定の成立の度合と、視覚的・美的仕上がり具合、という点では、久々に見たアマヤドリの群舞は相変わらず(苦手なやつ)ではあったものの、型のレベルは高くその分だけ仕上がり良く、つまりは劇的な高揚を舞台にもたらしていた。

    ネタバレBOX

    今作は4年前初演の再演という。恐らく、架空の町の設定は初演時より今が入り込みやすい。新型コロナは様々な事を露見させたが、その一つに確実に含まれるのは人間の愚かさだろう。事態が急を要しただけにそれとのギャップによっても、またそれに対応する人々の行動の変容によっても、忘れっぽい日本人でもさすがにこの変化は認識される所となった。自分らの代表を選ぶ選挙とは真逆に、「悪い人」を一人投票で選び、「消される」というルールが受け入れられている町。この設定は、事前調べで一位とされている姉を持つ妹の「行動」を通して、人間を論じる芝居のための設定だ。だから「論」そのものに意義を感じなければ、荒唐無稽なだけで無意味な設定は自滅する。だが今作はミステリー仕立て(ヒントを小出しにして観客に物語全体が見えるジグソーパズルを作らせる)である事と共に、今に通じる終末的な空気と、その中で殆ど無力に等しい人間の「可能性」を見ようとする視点を感じるところがあった。
    リアルに想像すれば「悪い人」を一人選ぶ、という制度がその目的(悪を排除する)を正確な意味で遂げることは考えにくい。悪の「行状」が民主的手段で決まる事はあっても、悪である「人間」を民主的手段で炙り出せるかは甚だ怪しい。刑事事件を裁くように厳格な基準と調査によってその「悪」は認定されねばならないが、この投票に限っては悪の「基準」はどうでも良く、ただ人に選ばれれば彼(彼女)が悪である、いや悪かどうかもどうでも良く、ただ選ばれれば消される、というルールがある、という事だろう。もっとも人々は無目的なルールを受容するほど鉄の心は持てないからそのルールは「悪を排除するため」だと信じている・・そこまで作者が描いているとすれば、「悪法も無批判に受け入れる」法の奴隷と化した日本人への批判的視点を持ち込んでいるのだろうか? まあそれは無いだろう。自分の判断基準を持たない大衆の投票で一人を「消す」というルールは、このルールが存在する事によって「人から恨まれない、妬まれない、目立たない、能力においても突出しない」という行動様式を人々の間に蔓延させることが目的だと考えれば、効果は絶大で、極論すれば今の日本はそういう世の中かも知れない・・てな事を作者も考え巡らしたかも知れない。

    脇に逸れた。そんな事より、この設定を敷いた上にどんなドラマが乗っかっているか、が本題。
    人から誤解もされやすい姉が、自分の店で社会の風紀を乱すような客商売をして当局から睨まれ、店をつぶされた、という出来事があり、「悪い人第一位」という前評判が立っている。冒頭姉は妹に傍若無人な行動をとった、という事で妹に責められているが、姉は言い訳をしないため、観客は「ひどいやつ」と姉を見る。が、妹の抗議=お婆さんから「二人に」ともらった一袋のチョコを全部一晩で食べた、というその理由がその後の説明(姉が悪人第一位となってえらいこっちゃ)で判り、姉が妹思いで率直な性格である事が次第に判って来るのだが、この過程は観客に「一度悪く見えていた人間を見直す」プロセスを辿らせるもので、作者のここは計算勝ちである。
    次なるは、この状況に対し、妹がある行動に出たらしい、というもので、これは噂レベルでしか語られず、妹本人の口からは語られない。
    もう一つルールに補足があり、投票の順位について、工作を行うなどの不正は裁かれ、第一位の悪人の代りに裁かれる、というもの。このルールは「悪を排除する」目的からすると煮え切らないルールで、何が不正かの認定も難しいはずだが、ここも「ドラマ」のための設定という事で、ドラマ本体に目を向けよう。
    投票には「事前投票」というのがあり、恐らくは上位に絞り込まれた者の最終決戦投票がある、と読める。で、芝居ではこの事前投票で、妹が一位となる。ショックを受ける姉。妹も家族ぐるみで評判が悪いので一位になる原因が何かあったのかも・・と観客には想像させるが、問題はその次で、実は妹は何か工作をしたのではないか、というもの。そして現に妹は人々に印象操作をさせるメッセージが書かれた紙を配るよう郵便屋に頼んだのだ、と郵便屋が証言する(それに応じた事は罪にはならないらしい)。だがこの証言も妹の計算の内ではないか、という噂も流れる。こちらの噂が本当なら、妹は自分の行動が「不正」と判定される事を誘導したのではないか、という仮説が成り立つ。
    最終投票で一位が決まると、一定の期間が過ぎてその人間は文字通り「消える」という。最終投票の後、妹が姉の窮地を救うために自己犠牲的な行動をとった、という美談を感じ入ったように姉に告げる。その時姉は初めてその可能性に思い至り、必死で妹を探す。妹は見つからず、結局彼女の不審な行動のナゾは解けずに終わる。
    姉は語る。投票によって「消される運命」にある事を自分は覚悟しており、最後に演説でこう言ってやろうと毎日考えていた。自分に対する誹謗が如何に浅はかで誤ったものか、他人の言葉に踊らされ、乗せられ、信じるしかできない愚か者どもに罵倒を浴びせて消えてやろうと。。
    閉塞した社会、人の評価が自分の幸福の基準である社会で、社会の犠牲という特別な存在になろうとしていた姉に対する妹の感情は、実は・・・。
    一方、似た物同士で仲のいい姉妹という側面も芝居では見せる。
    自己犠牲か、それとも英雄の称号への憧れかは不明のまま、解釈を観客に委ねられる。
    だが謎の「解」がどちらであろうと、一つ、妹はある行動によって事態を変え、(真相不明であれ)人々の行動変容を誘導した。事態は変えられる・・ただし自分の命と引き換えにしてでなければ叶わない。
    自爆テロは今の日本でも起き得る。浅間山荘事件は陰惨で許し難いが、引きで見れば社会の病みが生み出したものなのではないか。
    改革の意志が既得権(大人)によって拒絶され、それが当然視されている社会で僅かでも変容をもたらそうとすれば、自分の将来を棒にふって犯罪に走るか、命を最終手段としてこれを有効に使うことを考えるのは、若者にとっては健全な思考かも知れぬ。

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    2021/12/25 08:55

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