期待度♪♪♪♪♪
既に公演終盤だが・・日時が決まらずに日が過ぎ、観劇可能最終日の前日、よし観劇決定、と思った直後伏兵現われ、結局見合わせる事になった。よって例の未練書き込みである。
瀬戸山美咲女史の「演劇」界での実力は認めつつも自分の中での決定的な舞台との出会いというものがないのが欠落感になっている(見逃した芝居の好評を後から聞くパターン多し。長田育恵と戯曲提供で競演した昨年の現代能楽集X「幸福論」然り)。もっともその要因は作品の出来云々というより、劇作家と演出家の両面が拮抗する漠とした印象から来るようで。否、二択ではなく、例えばミナモザで作・演出をやってた時は「小劇場演劇の作・演出をしている人」という肩書で理解しており(これに当てはまる演劇人も多数いよう)、ただミナモザを見始めた時期からカテゴリーに収まらない人の片鱗があり、すれば肩書無しの「瀬戸山美咲」と認識するしかないのだが、自分はこの人の才のありかを追いきれていない訳である。
今回栗山民也演出で舞台化されるのは「劇作家」瀬戸山美咲の仕事、いずれ戯曲集か何かで読んでみたいが(「幸福論」も)その機会に恵まれる事はあるだろうか。