鴨川ホルモー 公演情報 アトリエ・ダンカン「鴨川ホルモー」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★

    青春成分増量中(当社比)
    ファンタジー系の原作ありの舞台というと、この舞台と同じチラシになっていた『夜は短し・・・』が思い起こされる。
    『夜は短し・・・』の舞台は、原作の主要なエピソードやシーンをほとんど盛り込んだ内容となっていたのだが、この『ホルモー』はそうではなく、元々原作も青春モノではあるのだが、舞台ではさらにその部分が広げられていたように感じた。

    「ホルモー」とはなんぞや? 原作を読んでない方はそう思うであろうが、舞台では簡単に説明するだけで、さらりとしたものである。
    それだけで、観客は理解できたのであろうか。
    原作を読んでいれば(あるいは映画を観ていれば)、その省略は脳内で補完できるのだが・・・。

    ネタバレBOX

    4つの大学のこともオニのことも、ホルモー自体の様子もさらりとしているのだ。

    その分、原作ではあまり語られることのない登場人物を含めて(設定まで変えて)、恋愛だったり、恋愛だったり、恋愛だったり、若者特有の悩み(アイデンティティ)だったり、恋愛だったりが、群像劇的に、やはりさらりと語られる。
    ただし、青春群像のそれぞれが、ぼんやり始まってぼんやりしたままの感じで、少々締まりがないように思えた。

    ホルモーというのは、日常の延長にあるのだから、さらりとしていいのだけど、やはり、オニを使って争うという、奇妙奇天烈なものであるのだから、ちょっとした非日常感というか、違和感を観ている側が感じるられるようにしてほしかった。

    それは、例えば、観客に向かって話かけるところで、脇にいる別の人が「誰に話しているの?」というギャグがあるのだが(もちろん苦笑)、その舞台と観客の関係をバラすような奇妙なことを仕掛けてくるのならば、そんな仕掛けでもいいから、ホルモーと日常との関係のほうに振り向けてほしかったのだ。「オニは、我々役者には見えるのですが、お客さんには見えないんですよ」とかね。

    こうなると、ホルモーである意味がイマイチないような気がしてくる。別に卓球部の話であっても違和感がなかっただろう。ホルモーを行っているシーンもそれほど盛り上がらないし。
    例えば、原作にはないのだが、青春群像を軸にするのならば、せめてホルモーを何かの象徴にするとか、というテはなかったのだろうか。

    観る前に一番気になっていたのは、小さな無数のオニをどうやって登場させるのか、ということだったのだが、一番簡単な方法、つまり、そこにいるように演技する、で切り抜けていた。
    しょうがないと言えばしょうがないのだが、であれば、オニの容姿(サイズとか数)について、丁寧な説明がなされていないので、観ている側としては、具体的にイメージできず、「今そこににいる」ようには感じとれなかった。確かに原作を読んでいれば、わかるのだけど。

    とりあえず、退屈しなかったことだけは確かであり、高村役の存在が全体の救いだった。

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    2009/05/23 04:59

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