海と日傘 公演情報 KUROGOKU「海と日傘」の観てきた!クチコミとコメント

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

     タイゼツベシミル。華5つ。脚本、演技、演出、照明、音響、舞台美術等もグー。おっと、うっかり。今作を観て殆どの人が気付かないであろう、伏線について書き残した分を書き足した。

    ネタバレBOX

     舞台は作家兼教師の佐伯洋次とその妻直子の住いを中心に展開する。描かれるのは九州の或る地方、季節は日暮の鳴く晩夏から晩秋に掛けてである。因みに2人の住いは大家・瀬戸山夫妻の隣に位置し普段から何くれとなく大家の世話になっており、家賃の滞納も可成りある決してリッチとは言えない所帯だが直子の少女のように柔らかな感性と明るく在ろうとする姿勢、夫の浮気を知りつつ耐えているその愛の深さは描き方を一歩間違えば、怪談になってしまいそうなほどの深みを感じさせるのは、全体として極めて淡々と描かれる今作のトーンに直子の鋭く的確な感性と頭脳が明敏に反応し楔を打ち込むからである。洋次の浮気に彼女が気付くのも、後任の担当編集者・吉岡が洋次を「先生」と呼ぶのに対し先任の多田久子は「佐伯さん」と苗字で呼んでいたからである、更に掛かり付けの医師から洋次が倒れた直子の養生している隣室で医師から「余命3カ月」を告げられた後、非常に早い時期に自らの死期を悟って尚極力冷静を保つ直子の、その姿勢は多田とできていることに気付いて尚、洋次を念い尽くす姿の痛々しさとして描かれていることで観る者の臓腑を抉る。
     因みに今作の小道具で赤い蓋が用いられているが、それが何の蓋なのか分からないという挿話として描かれているが、無論、直子が公園で出会った小さな女の子が持っていた赤い水筒の蓋である。この挿話の大切な点は、女の子が水筒の蓋を使って既に空になった水筒から直子におままごとのように飲み物を注ぎ飲ませてくれた話に繋がっている。直子は殆ど無意識にその時の蓋を持ち帰ってしまったに違いない。その蓋が廊下に落ちていたのをこの日も立ち寄っていた大家の瀬戸山剛史が廊下で見つけたが、劇中では何の蓋だか分からないことになっている。然し乍ら、無意識にせよ、直子は幼い女の子が大切にしている水筒の蓋を持ち帰ってしまった点が重要なのである。直子の持つ少女のような純粋性は、幼女の持つ純粋性には敵わないことが示されているからである。直子は結婚している大人の女性であることがこのことで決定的に示されており、その大人の女である自分が病の為、愛してやまない夫の性の対象としては不適格者として自覚されていることをも示唆している。即ち病の所為で相手をしてやれない自らの不甲斐なさを背負っているのである。これが浮気を許さざるを得ない直子の夫への愛と自分が夫に対して持つ愛の深さと同等には応えて貰えぬことに対するアンヴィヴァレンツと悔しさとして描かれている為に極めて重要なサブスクリプトなのである。
     一方、洋次も無論、妻に死期を悟られまいと優しく介護し気も使って接してはいるが、妻が彼を愛する程のひたむきさは感じられない。その有様は転勤が決まった多田が転任前の最後の仕事として洋次の原稿を受け取りに来た時、死の直前の唯一の夫との近場への旅行を断念させられた直子が湯呑を落としたシーンで表現される。即ち洋次に零れた茶を乱暴な物言いで「拭け」と命じられ抵抗する姿に凝縮されている場面だ。彼が直子の深い愛を悟るのは彼女を失って初めてであるという事実の持つ痛ましさが描かれる終盤の男女の認識差の齎す越えようの無い距離が人間存在のギャップの深淵を覗かせて観客に応える。

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    2021/11/01 12:18

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  • 皆さま
     あたふたと書いて投稿した初稿が不完全だったため追記しました。改善されていると思います。ご笑覧下さい。ホントに良い舞台でした。有難うございます。
                             ハンダラ 拝

    2021/11/01 14:14

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