夏の砂の上 公演情報 ハツビロコウ「夏の砂の上」の観てきた!クチコミとコメント

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    松田正隆の初期の九州を舞台にした戯曲の中でも、「夏の砂の上」(1998は読売文学賞)は好きな作品だ。ドラマを人間の性がしっかり支えていて、表面は市井劇だが、風俗劇の域を超えている。90年代の代表的な戯曲である。小さな劇団が上演しやすい配役なのでよく、小劇団が上演するが、なかなか、初演を抜けない。
    確か、初演は青山円形で平田オリザの演出.意外にオリザ風でなくしっかりと緊迫感のある演出をしていて、何よりも優子を演じたデビューしたばかりの占部房子がよかった。あれから四半世紀!
    今回はハツビロコウの公演。客演も加わって、ガラ的言えば無理のない配役だが、初日のせいもあってか、ドラマが浮足立っている。それは仕方がないが、この小さな劇場でセリフが通らないのは困った。それは舞台美術のせいもあって、間口の広い舞台に長方形の大きな和机を中央に横に置き、両端で向き合うセリフが多い。せめて、机を小さく丸くするとか、置き方を考えるかしないとセリフのほとんどが客席に向かわず、壁に向かってしまう。セリフの経験の足りない声の逃がし方を知らない若い俳優は苦しい。優子を演じた金原爽佳は、現代的な体躯で役にはハマっているのだが、セリフが出来ていない。その相手役の小野涼平も柄はいいがセリフが弱い。この二人を取り巻く大人たちは職を失うとか、夫婦関係がこじれるとか、交通事故にあうとか、この一見平穏に見える社会で不安とともに生きざるを得ない人たちで、今のご時世では受け入れられやすいが、この芝居のキモは、それでも、人間は生きていく、と言うところだ。戯曲では情緒的には納得できるように書いてあるのだから、あとはそういう日常性の奥にある生命力の表現が出来るかどうかだ。そこは細かい日常的な表現から、抽象的な表現まで、人間の本音を舞台にあげる技術の修練がいる。そこが流れてしまっている。
    さらに言えば、音響効果が雑。例えば、カゲの出入りの玄関の開閉のタイミングがずれる。蝉の声もアブラゼミから法師ゼミに移るという季節の説明だけになっている。折角長崎のはなしなのに、ローカリティが安手な船の汽笛の音だけと言うのはいかがなものか。

    ネタバレBOX

    松田正隆の初期戯曲は人情劇にも見えるので、与しやすそうに見えるが、なかなかいい舞台にならない。「海と日傘」など何度失望したことか。これは浮気のドラマじゃない。間もなく「紙谷悦子の青春」もやる。いい舞台にしてほしい。反戦ドラマじゃないのだから。

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    2021/09/22 15:32

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