実演鑑賞
満足度★★★★
かって親しんだ世界をいま、目前に見て、それに勝る興奮を感じられるか、そこが、古典を再演する肝だろう。「砂の女」(1962)は日本の戦後文学の里程標となった作品、作者自身の脚本による映画(1964・勅使河原宏監督)もまた、世界的な評価を得た。その後、芝居にもなったようだが、草月ホールで見たような、見なかったような。それから六十年。
今回はケラリーノサンドロヴィッチによる舞台化である。
『鳥のように、飛び立ちたいと願う自由もあれば、巣ごもって、誰からも邪魔されまいと願う自由もある。飛砂におそわれ、埋もれていく、ある貧しい海辺の村にとらえられた一人の男が、村の女と、砂掻きの仕事から、いかにして脱出をなしえたか――色も、匂いもない、砂との闘いを通じて、その二つの自由の関係を追求してみたのが、この作品である。砂を舐めてみなければ、おそらく希望の味も分るまい。』というのは安部公房自身の言葉だ。このシンプルな構造の中で、作者は戦後日本の課題を二人の男女に託して描いたわけだが、それを世紀を超えた今、舞台で見るとどうか。
コロナ禍で、全国に「非常事態」が拡がろうかという酷暑のなかのでトラムの公演は、観客の肌にも砂がこびりついてくるような迫力のある舞台だった。古典を今に生かしたケラの力量は大したものだ。それは、丁寧に追われる原作のストーリーの功績よりも、脚本・演出家の舞台あらではの工夫がこの成功につながっている。この欄で言えば、筋は原作で周知なのだから、いまさら「ネタばれ」でもあるまい。舞台に積み上げられたその細かい演劇ならではのネタが見事な舞台だった。
観客は老若男女取り混ぜた芝居好きで満席だった。舞台の上も下も芝居好きが集まった一夜の愉しみがここにあった。コロナの憂さも晴れようというものである。..少し長くて十五分の休憩をはさんで二時間五十分。..