別役実短篇集  わたしはあなたを待っていました 公演情報 燐光群「別役実短篇集 わたしはあなたを待っていました」の観てきた!クチコミとコメント

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    別日に両方を観劇。4作品全てが「別役戯曲的合格ライン」(個人的な基準だが)クリアでハッピー、とは行かなかったが..収穫はあった。2015年前後にあった別役フェスでは二、三の優れた舞台によってフェスの価値は否が応にも刻印されたが、一公演としての評価は難しい。なんて小賢しさを嫌うのも別役流に思われ、個々の舞台の見たままを書きゃいいんじゃね。とも思うが。
    いずれ詳述してみたい。

    ネタバレBOX

    別役演劇には毒がある、というか、毒を見つけられる舞台でなければ、と思う。
    「毒」と言ってみて今思い浮かべたのは上方落語の「寝床」の冒頭シーン。なぐさみに過ぎぬ超ド下手な浄瑠璃をなぜか語りたがる商家の旦那のもとへ、たった今町内の店々に会の案内をして回って戻ってきた手代の久七が、いかに旦那の機嫌を損ねずに「皆が皆今日は来られない」事情を伝えるかに腐心するという場面なのだが、旦那の突っ込みをかわして報告するも、本音が間欠泉のように噴き出しそうになる。要は「あんたの浄瑠璃など誰が聞くか」と、心は如実に揶揄している。能天気な旦那に、「真実」という毒を最後には浴びせる事になる。

    禁忌への巧妙な接近と見える場面が、これに当る事がある。小市民的でありながら、剣呑な「真実」に言及したり寄って行き、それを小市民的慎重さで正当化する、といった技を、別役戯曲の「人物」はやってのける。不器用者代表のようでいて、実に技量のある人物たちなのだ。台詞にそれが表われている。何しろ別役実が書いた言葉なのだから、それがあり得るのである。
    言動が顛倒し、意味がひっくり返っても、現実には存在し得ない人間を別役氏は書いてはいない(いやいや、存在しにくいのだが、存在するかのように演じ、舞台上には存在するかに見える事によって別役戯曲は底力を持つ...役者頼み、役者泣かせの書き手だと思う。。いやいや役者に与えるこの課題こそ別役にとっての「演劇」の核に迫るものになっている、と考えるしかない・・同義反復な事しか言ってないな)。

    不器用代表を「演じる」場合に役者はその声や流麗な活舌を、ある形で駆使してそのキャラを演じる。その意味で手練の要素があり、演劇の約束事というか断るまでもない当然な事実だが、戯曲に書かれた潜在的「手練な人物」たちの、毒や皿を食らって来た人生の厚みや、弱さを克服しようと苦渋を敢えて舐めた来歴は、それ自体「絶妙な演技」を強く要求される経験に、重なる。役者の身体が戯曲に書かれた人生の毒を持て余すのでは、太刀打ちできないのではないか・・と考えるのである。
    こういう考察は「今一つ」な舞台から導かれる事を大方が察してしまう所だろうが、書いてしまう。
    真面目な話、「見たい」ものがある。端的に、コロナの空気に考えなく追従する凡人の言葉より、空気に斬り込める眼力を持つ者の言葉の方を聞きたいのは本音である。
    世間的負け組であってもその中に「そうあるしかなかった」核を見出す時、ある意味での「勝ち」を見、その存在の中に真実がある事がその裏付けだ。演劇はそこに照明を当て、ドヤ顔をする。
    別役氏の言葉を発する者は、発する言葉に値する人物として存在せねばならぬ、という至極当然の要求は、次の考えにも扉を開く。・・高潔な人物を演じるのも大変だが、付和雷同で思考力に劣る人物でありながら人生の矜持を持つ存在を演じるのも、至難。演劇が持つ包摂力に果たしてどちらがより貢献するか・・。
    (次は別立てで4作個々の感想を書く...つもり。)

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    2021/07/02 01:53

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