別役実短篇集  わたしはあなたを待っていました 公演情報 燐光群「別役実短篇集 わたしはあなたを待っていました」の観てきた!クチコミとコメント

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    別役実短編集全4作品通し(上演時間4時間 途中休憩1回15分)
    【Aプログラム】
    「いかけしごむ」「眠っちゃいけない子守歌」
    【Bプログラム】
    「舞え舞えかたつむり」「この道はいつか来た道」

    この4作品のセレクションが絶妙で、【Aプログラム2作品】と【Bプログラム2作品】とでは作風が少し異なり、それぞれの特徴をうまく捉えた演出だ。もちろん ほの暗い小空間に電信柱や街灯といった別役作品の象徴といった舞台美術(除く「舞え舞えかたつむり」)。
    別役作品=(日本の)不条理劇と言われているが、それは政治や経済といった社会的なことに求めるのではなく、あくまで人間そのものが持っているというか、端的に言えば人間の存在そのもの(内なる感情)であろう。誰もが感じる孤独・不安・空虚、苛立等の鬱積した感情、それらの感情を演劇という表現形式に取り込んだ、まさしく”人生劇場”そのものを観せる。時代背景に左右されず、人が抱くであろう感情、その不変のような舞台表現が観客自身の経験や体験なりと共感・共鳴し、ある種の説得(納得)性を突き付ける。別役作品の不条理と言わしめる、そんな代名詞に相応しいのが【Aプログラム】。
    一方、【Bプログラム】は異色作。特に「舞え舞えかたつむり」は、チラシに「<犯罪症候群>に向き合う別役実独自路線のルーツ」とある。そして4作品中、唯一のテキレジを行っており、案外ストレートに楽しめる作品になっている。次に「この道はいつか来た道」_人生の終末期に関わらず、人生劇場を謳歌しているような劇風。が、やはり人生の哀歓を漂わすラストは胸に迫るものがある。

    (台詞にない)言葉の先を想像し読み解くなど、見巧者のようなことは出来ないし、かと言って言葉の裏に潜む気持を感じられなければ風情も面白味もない。別役作品は面倒くさいが、そこがまた奥深く面白いところ。本公演、別役作品の案内企画と考えれば成功だろう。

    ネタバレBOX

    人に言わせれば、薄暗い劇空間、静寂した中に役者がそっと現れ佇み、言葉が紡がれ、時間が動き、抒情が立ち上がる。コロナ禍で劇場に足を運べない日々が続き、ライブに焦がれる演劇ファンにとっては、この別役劇らしいオープニングは、愛してやまない“演劇世界”の幕開けなのだと。

    「いかけしごむ」
    この先はないという路地裏。上手側に占い師テーブルと運命鑑定の行灯等、何故か黒電話(受話器)が吊るされている。下手側には街灯、ベンチ、その横に「ここには座らないで下さい」の張札が立っている。
    女が1人現れ、構わずベンチに座る。その後 男が現れ女とのチグハグな対話が始まる。女は次々と男の状況等を言い当て、男を不安と混乱に陥れる。平行線を辿る会話は珍妙でコミカル。何が本当で何が嘘かも分からないままミステリアスな対話が連なる。そのうち男が持っていた袋の中身に言及してくる。男曰く、イカで消しゴムを製造できることを発明し、そのため秘密結社・ブルガリア暗殺団に命を狙われていると。そんな事実があるのか、女がリアリズム=現実(もしくはリアリズム≠現実どっち)と向き合うが…。ラスト、女の独白は自分自身の身の上話。
    さて、黒電話は「命の電話」で、何事か相談した結果、女によれば「死ね」という回答だったらしい。そこに姿・形のない世間が突如として表れ、無関心と無責任といった冷たい風が吹く。会話劇に状況が入り込み、物語が立体的になり広がっていくかのようだ。

    「眠っちゃいけない子守歌」
    絨毯にテーブル、会い向かいに椅子が置かれ、上手側に腰高棚、下手側に食器棚。真ん中に室内灯が吊るされている。
    1人暮らしの老人が住んでいる所へ、福祉の会から派遣された「話し相手」の男。老人は自分が何者なのか、漂流するような会話はどこに辿り着くのか。かみ合わない会話は、チェコスロバキア人とエチオピア人の会話のような、単なる道具としての”言葉”では通じ合えない。老人の求めてくる理由・理屈に男は辟易し、戸惑い、それがいつの間にか受容と共感へ変化していく。徐々に老人の記憶の底に眠っていた出来事が掘り起こされてジグソーパズルが完成するかのよう。まさに言葉の裏にある魔術に導かれた軌(奇)跡。小さな家の模型、幼き日 母との別離、その日は雪が降っており寂寥感が漂うシーンは暖色照明が溶暗していく。見事な余韻だ。

    「舞え舞えかたつむり」
    中央に緋毛氈、そこに雛段飾りが置かれている。五人囃子の一体がない。段飾りと女優陣の衣装が華やか。残忍な内容とは対照的な演出だ。
    この話は昭和27年に起きた猟奇事件を基にしている。そして登場人物は9人を数える。
    日常会話が噛み合わないところに人間関係の変化を表し、いつの間にか別の世界へ紛れ込ませる。捜査官の客観的な事実経過説明。異常(バラバラ)死体が発見され捜査の結果、被害者は行方不明の警官だったことが分る。そして捜査官が被害者の妻を訪れるところから芝居は動く。捜査官の説明、それを犯人と思われる妻は関係ない話ではぐらかす。この劇は犯人を追い詰めるサスペンス劇ではない。この妻の(異常)心理が浮き彫りになる心情が主題。何故殺害したのか、どうして死体をバラバラに切断したのか。妻の「風鈴の音」「分からない」は既に感情の外。
    テキレジしているから何とも言えないが、生きている人間の生きた会話やモノローグではなく、擬人化させた雛人形が発する口語的なモノローグ、それが妻の深層心理を代弁する。何となく意識的に様式化されたようでもあり、客観的とも思える表現に若干の違和感を覚える。生きた人間の生きた会話の中から異常心理が炙り出されるほうがリアリティがあると思われるのだが…。しかし、分かり易さという点では秀逸、楽しめる。

    「この道はいつか来た道」
    舞台美術…女が下手側にあったポリゴミ容器を上手側に移動させる。そして男が現れ2人で座り話し込む。その横に街灯。ほとんどを下手側で演じているが、まるで世の片隅で淡々と生きてきた人生を連想させる。
    ダンボールを引きずった中年の女性、茣蓙を丸めて縛って背負った初老の男性。2人の身なり、様子からホームレスらしい。延々と繰り返される取り止めのない会話、しかしラスト近くなって話は思わぬ方向へ。2人はホスピスを抜け出してきた末期癌患者だった。そして2人は偶然知り合い、愛し合い結婚するという演技を繰り返している。つまり「いつか来た道」。
    ラストシーン、背中合わせになって死を迎えようとする2人。お互いの痛みを確かめ合うことは出来ないが凍死するのは確実であろう。寒く冷たい死の実感がそこはかとなく漂う。が、何故か自分はあくまで明るく楽しく人生を生きる、といった前向きな姿に思えてしまう不思議な余韻。

    4作品を俯瞰するように眺めると、やはり人生の喜怒哀楽が…。ライブは心の洗濯(日)。
    次回公演も楽しみにしています。

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    2021/06/28 23:09

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