自り伝5・再び京都編 公演情報 平石耕一事務所「自り伝5・再び京都編」の観てきた!クチコミとコメント

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

     脚本はぴか一! 然し噛むシーンが前半多く、興が削がれる点があったのが残念。華4つ☆

    ネタバレBOX


     「自然真営道」という本の名前は歴史で習ったことがあろう。自分も未読の書だが総ての人の平等を説き、それが幕藩体制を揺るがす思想であるとの懸念から幕府から安藤昌益は目を付けられ追われていたという。可成りアナーキー且つラディカル而もエコロジカルな書で、鋭い観察眼とバイアスを排した視座で人生に臨んだ人物と解釈できる。これに対し小児科医として登場する若き日の本居宣長(劇中殆どは改名前の春庵として登場)との論争も興味深い。昌益の発想はファクトにのみ根拠を求め、ファクトのみをベースとして総ての思考を紡いでゆく科学的思考であるのに対し、春庵は残された和歌や王朝文学、古事記等を考証することによる思考である為、神話が成立する要件やその必然性を考慮しえず「大和魂」に新たな解釈を加え革新はしたが、それが上澄みでしかないことを理解し得ぬ性質の思考であることには気付けなかった。
     今作で大活躍するのが、琉球出身の和算の天才・九つである。十六歳だ。(現在の満年齢で言えば15歳丁度中学3年か)昌益も九つも科学的思考の持ち主であるから、思考の原点には論理の、観察事実の絶対がある。それは思考の絶対的根拠・本質を為す。この2人の天才の周りに集まる人物達の能力も無論頗る高いのであるが宣長にしたところでその思考原理の根拠こそ薄弱なものの、そのマインドはオープンであり知的好奇心に富み、子供達の言葉の意味する所を聴き取る耳を持つ。(現代小児科と呼ばれるジャンルは、当時唖が声を出すことのできない障害を表す字を用いて唖科と呼ばれていたのは過ちで「子供はちゃんと病状を話しているのだが、医師に子供の声を聴き取る耳が無いせいだ」と断じ小児科と言い直すシーンがあることで分かる)
     今作の脚本が優れているのは、この得体の知れない病が伝染病であり、原因が当初特定できない段階から罹患者と非罹患者を分離・隔離すべきだという極めて真っ当で科学的な発想を実践すべくドンドン手を打ってゆく姿勢と見識の高さ、それを支える事実確定の筋道の確かさである。現今の日本人に欠けている最大の特徴がこれらの特質である。日本では殊に為政者の中にこそ、この能力が最も低い者が圧倒的に多い。庶民は、沁みついた奴隷根性の所為で正しいことを考えても実践できない卑怯者が多い。この両者が相俟って現代日本の劣化を招いた。肝に銘ずべきであろう。
     脚本は抜群だが、残念なことに噛む役者が多く興が削がれたシーンがかなりあった。演出家・脚本家が同一なのでアテ書きをするなり、それが無理なら稽古にもっと時間を割くなり、各々の役者がイメージを明快に思い浮かべられるように協働作業をしつつ演出すれば良いのではあるまいか? {2009年来日したワジディ―・ムアワッドという劇作家に会った時に(原題「L’Incendie」・邦題「焼け焦げる魂」2009年10月28~11月3日ピープルシアター日本初演で来日)}どのくらい練習したか尋ねた所約1年との答えだった。カナダが世界初演で文化に対する国家の力の入れようが、日本のアホ政府や官僚とはけた違いだから日本の劇団が1年掛けてじっくり仕上げることは無理だろうが、協働はできるのではないか? 因みにカナダの役者も来日していてその役者は世界初演から相当の時間が経過していたにも関わらず自分と会ったその時点で総ての台詞を言うことができると言っていた。

    0

    2021/05/17 00:27

    0

    2

このページのQRコードです。

拡大