実演鑑賞
満足度★★★★
「・・怒れる女」を観劇。額田やえ子翻訳の古典がどの程度原作に忠実でどの程度脚色されたかは分からないが、指紋やDNA鑑定といった科学捜査の無い時代、という要素を除けば、俳優らの現代感覚と共に台詞が吐かれる舞台は、不思議と成立した。
野球観戦野郎、ヘイト野郎、個人事情むき出し野郎、確信犯的付和雷同野郎が、米国産映画でも「正義」の障害として立ちはだかり、やがて克服されて行く。
今は昔のようにアメリカ=民主主義の国、等と単純に考えてはいないが、回帰すべき場所としてそれはある(と信じられている)だけ、日本とは異なるのだろうとは思う。そして考える。普遍的感動に導く同作品は日本でも好んで鑑賞・観劇されるが、しかし果たして民主主義は本当に信じられているのか、と。そうして頭を抱えてしまう。