実演鑑賞
満足度★★★★
個人的な話をして申し訳ないが、落語と演劇をハイブリッドする題材を目の当たりにした初体験は高校演劇だった。小ネタで「日大タックル」が披露されていたから、あれは、2018年ごろだろうか。作者兼主演は生徒だった。かなり緊張した面持ちの青年が、落語のマクラを触媒にし、「像」へ立体化させていくのだった。海のものとも山のものともわからぬが、やはり、落語は境界線の芸術である。得体の知れなさは都合がいい。本来的な落語も、お客と共有されていた空間が、たった1秒で江戸に迷い込むことがある。そこでは噺家の意識が時の流れの境界線となっている。しかし、聴く側は、噺家を漫然と「観ている」わけではなく、ごく自然に、その意識の一部を戴いているからだ。「落語を聴いてきた」という言い回しになった。本劇団は境界線の芸術を、試行することを、本領としているのだろう。
話は脱線するが、演者を幼く感じられた。貶しているのではない。そんじゃそこらの学生劇団より若々しさを帯びており、数年前に鑑賞した高校演劇との点と点が繋がった所以である。男2人だったことも、熱量においてはこの上なく機能していたように思う。