正義の人びと 公演情報 劇団俳優座「正義の人びと」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    鑑賞日2021/01/29 (金) 14:00

    座席B列18番

     オフィス再生の上演を観てから3年後、俳優座上演を観る。
    オフィス再生での上演では、主人公ヤネクが、最初の大公暗殺の失敗から、自らの正義と倫理との狭間で苦しむ中、「正義」の議論は、彼を取り巻くレジスタンス達の応酬として展開する。渦中のヤネクは苦悩こそすれ、ただただ無力で、懊悩するばかりだ。そして、自我を打ち消す棟に無機化して、大公暗殺に出向く。そこに誕生したのは、新たな英雄であり、もはや無垢に帰した屍のような人物だ。彼は思考を停止したかが故に無謬であり、何者にも咎められることはない。レジスタンスの同志たちは、彼の英雄性をいかに賞揚するかに専心し始める。「正義の人」とは何か?倫理の立脚点としての存在を問い詰めるような演出だった。
    それに比して、俳優座の演出は、「正義」とは何か、むしろ意味論、価値論的に徹底して突き詰めようとする。ただ、いうまでもなく「正義」は相対的な思考軸の在り様でしかない。
    レジスタンス達には、大公暗殺は「正義」だが、同行した甥姪を巻き添えにすることは「正義」ではないとする者。否、甥姪をも犠牲にして大公暗殺を優先するのが「正義」だという者。そして各自の「正義」たる主張は、みるみるうちに多種多様化し混とんとしてくる。
     そう、レジスタンス各々の御旗になる「正義」の主張は、愛、憎悪、期待、同情、信頼、
    失望、欲求などなど、あらゆる感情に還元され溶解されていく。
    大公妃においては、夫大公にこそ正義はあるが、甥姪の道徳観・人民観に「正義」はないという。「正義」とは
    どちらも妥協なきがゆえに、ただただ感嘆すべきドラマ性と演出。

    ネタバレBOX

    ただ、この作品に限ったことではないけれど、革命組織やレジスタンスにいる女ってろくでもない奴多いよな。ドーラのヤネクへの恋心が隠せないのは、やや許すとしよう。ただ、「正義」の源泉となった憎悪の証として、ステパン自身が背中のケロイド状になった夥しい傷を見せた時、そこに抱きついて同情を寄せるドーラの姿には、ちょっと気の遠くなるような眩暈がした。それするかあ?女武器にして自己正当化していない?

    0

    2021/01/30 13:29

    1

    0

このページのQRコードです。

拡大