満足度★★★
これは平田オリザの戯曲・舞台である、と感じる所以は、青年団俳優の存在もそうだが、無音楽、説明台詞無し、間、などがある。決して「理に適った」間合いとも思わないのだが、平田戯曲の世界、文学で言う所の文体である。そう、要は説明台詞が回避されているので、短編ではどうしてもリアルを担保する「説明」は追っつかない。「コントロール・・」など突っ込みどころ満載である(突っ込ませるコントの要素も、あると言えばある)。新作「百メートル」ともに30分程度。
「コントロール・・」では、「こんな時期だし」「ああそうか」等とコロナを反映した台詞もあり、配役も半分入れ替わって10人から8人と幾分変化はあるが、見た印象は初演の時と殆ど変わらずである。
オリンピック選考を兼ねた水泳大会の直後にドーピング検査をやる。採尿のために水を飲みながら選手は横に並んで雑談するが、各選手の後ろには担当のスタッフが緑のジャケットに巨大な蝶ネクタイを締めて立ち(まるで漫才師)、「重要な任務」を担う厳粛さを演じている。「勝利」だけが全ての選手らが横に並ばされている状況、その他、諸々リアリティ的には奇妙であるが、コントロールオフィサーと称する緑のスタッフの無言の演技がそこはかとおかしい(時々「今笑ったでしょ」と突っ込まれ表情を固める島田桃依、注意事項を暗誦できず隣から手帳を借りる永井秀樹など)。
まあでも日常切り取り型でローペース、盛り上がり禁止、無音楽の30分では「演劇濃度」が薄いのは当然、も一つの演目「百メートル」に期待したが、脱力度は前に同じくであった。
前者のエッセンスは、中堅選手が気負わない若手に五輪出場権も恋人も持ち去られる「勝負の世界の無慈悲さ」、だとすれば、出場権のかかる陸上競技前の控室が舞台の後者は、「勝つために手段を択ばず」か。いずれもネガティブな切り取り方であり、スポーツが美化される五輪礼賛に水を差す演劇、ではある。