オリエント急行殺人事件 公演情報 エイベックス・エンタテインメント「オリエント急行殺人事件」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    中学生に上って横溝やドイル等の文庫本を持ち歩いていた自分にアガサ・クリスティを教えた級友というのが喋りたがりで、「アクロイド」や「ABC」も面白いけどやっぱ「オリエント急行」が面白い、なんつっても○○が犯人だから、と言いやがった(しかも悪気は全くなさげに)。口より先に速攻物に当って抗議の意を伝えるも腹水盆に何とか。以来ストーリーを知らずに犯人だけ知っている忌わしい作品であったが(まあ特に遺恨はないが)、暗い年末に一つ娯楽を味わおうとコロナ以来初めてのコクーンへ出かけた。

    以前チラシで見た俳優陣は割と豪華(知名度高し)ちょっと期待できる感じであったが、例によって観劇時には失念。もっともこの度は気楽な観劇時間、名前を当てる遊びに興じた。この芝居のアウトラインは凡そ知れている。豪華旅客列車オリエント急行車内で殺人事件が起き、たまたま乗り合わせた名探偵ポワロが事件解決に奔走する。容疑者となった一等車両の乗客の個体識別が出来ればあとは事件解決の際ポワロの解説が為されるはずである。
    ちなみに登場した瞬間判ったのが宍戸美和公、割とすぐが中村まこと、暫く経って椎名桔平、終盤でマルシア。声に聞き覚えあって割り出せなかったのが高橋恵子。他は名のみでさほど知らない俳優であったが、皆キャラが粒立っており、横一列に並んだ容疑者の動線が錯綜するミステリーを「しっかり見える」ものに仕上げていた。
    河原雅彦演出、昨年打たれた公演を配役を変えて再演。同演出には一度何かで観て「暑苦しい」印象があったが、この舞台では探偵よろしく「冷静な頭」で機能的な場面進行を組み立てていた。

    さてお話の「殺人」は、巷間出回るサスペンスの例に漏れず、事件の背景にドラマあり、である。この方面に明るくないが、「殺人」に見合う背景を崖の上で犯人に語らせるパターンは、犯罪を「娯楽」にする不謹慎のそしりを逃れる作り手の弁明術とも言える。ここで、「ミステリーかドラマか」の区別に考えが及ぶ。
    社会が成熟し、寛容であれば、あるいは発信者に勇気があれば、ミステリーは貫かれるが、そうでない時、ゲーム性から離れて人間ドラマとなる。優れたドラマはミステリーの分野にある事だろうが、「オリエント」の場合着想がミステリーありきと判るので、そ背景はドラマ的でも後付けなのである。従って本来はドライに行かねばならない所、湿っぽくなった。原作がそうなのか演出かは判らないが、「殺人」を道義的に免罪する背景ドラマを共感たっぷりに描くのが原作ならこれが今に続くサスペンスドラマの原型かも。
    舞台では探偵がドライさを貫こうとする。「犯罪は犯罪でしょ」と。しかし結局最後には彼を探偵に雇った主(列車を運営する会社の人間でポワロの友人)の要望を飲む形で不本意な答えを出す。

    かくして事件の回想を終えたポワロは、これを特異な体験と総括し、「何が正義か」を観客に問うて立ち去る。

    このテーマについては、最近よく引用する宮台氏の「法の奴隷」がすぐ浮かぶ。この作品が生まれたイギリスという国を想起したのは、劇中ポワロの「国の威信にかけて」(解決する、という感じ)の台詞だ。近代史上最も早く国家として民主主義を育んだ英国の住人の感覚では、法による統治は「民主制度」において正統に定められた「正義」を担保するものであり、「我々の制度」という意識が大前提としてあるのでないか。これが「国王の権威」や「国の威信」といった言葉で表現されていると理解できる。
    だが日本の風土の中で同じ台詞が吐かれると、法が悪法である可能性を考慮せず「違反者」に対し目を剥く「キョロ目野郎」(これも宮台氏の造語)、すなわち「法の奴隷」の存在が浮かんで来る(芝居の舞台は日本ではないのでその躓きはないが)。
    最後のポワロの台詞は冒頭のリフレインである。密告風土の深化を身近に感じる昨今、「法は絶対だと言えるのか?」との問いは益々普遍的である。
    ただ、この作品にそのテーマが相応しいかは留保になる。
    その前に、「悪役(被害者)」の形象はあれで良いのかも素朴に疑問。娯楽と思えば何ら問題ないと言えば無いのだけれど。

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    2021/01/03 00:57

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