外地の三人姉妹 公演情報 東京デスロック「外地の三人姉妹」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

    千秋楽当日思い立って観に行った。予定がなくなってボンヤリしていた所、ハッと時計を見るとギリ間に合うかという時刻。出掛けてみっぺと電車に乗り、当日券で会場中段の良席にありついた。
    チェーホフの「かもめ」を植民地統治下の朝鮮を舞台に脚色した「カルメギ」のソン・ギウンが再びチェーホフの長編を翻案した新作。休憩15分込の3時間は全く苦にならず刺激的な時間であった。
    翻案とはこうやるものだという見本のような作品である。原作のドラマの骨格と人物の性格属性、エピソードを可能な限り織り込んで、朝鮮北部に居住した日本人家族(福澤家)の1930年代末から日本降伏直前までのあり得た「かも知れない」ドラマが紡がれている。
    原作、と言っても戯曲の忠実な上演を直に観た事はなく、凡そ次の梗概を知るのみ。・・かつて軍の高位にあった父の一家がモスクワを遠く離れた田舎暮らしをしており、三姉妹はモスクワでの生活を懐かしく語る。召使を雇い、赴任した軍人に部屋を貸すだけの屋敷を所有していても父の死後零落を余儀なくされており、三人姉妹の誇りであった長男は大学の研究所に残れず地元の娘と結婚してうだつが上がらず博打に手を出し(やがて屋敷を抵当に入れる)、長女オリガは独身で教師の苦労性、次女は教員の夫との結婚生活に幻滅し軍人の一人に横恋慕、三女は自立を求め仕事を始めるも二人の軍人に求婚されて迷った挙句、愛のない結婚を選び、連隊が撤退するその朝に元求婚者から決闘を申し込まれ、応じた婚約者が不幸な死を遂げ、取り残された姉妹たちは身を寄せ合いながら力強く生きて行こうと言う・・。
    本作ではモスクワは東京となり、新天地を求めてか元は父の赴任地であったか朝鮮に入った一家は当然ながら当地の人々に対し優位にある構図、とは言え地元の朝鮮人との関係も簡単ではなく、帰郷の願いが根底にある構図も出来ている。三姉妹の身分や職業、長男の凋落ぶり、その妻、三女に言い寄る兵士二人、新任の兵士、付き合いの古い医師など、設定は原作をなぞっている。
    チェーホフの作品をよく知る人にはディテイルがどのようにトレースされ、又は改変され、演出や演技がそれをどう処理していたか、といった部分が見えていた事だろうが、自分はあらすじを押さえた程度で後は植民地朝鮮という歴史の上にドラマがどう有機的に絡むかが最大関心であり、原作を鑑賞する場合とのそれが明確な差だ。
    翻案版三人姉妹の原作と異なる一つは、三女の婚約相手である。原作では愛だ恋だの悶着を逃れるかのように?打算的にある男性と結婚するが、本作では朝鮮を出自とする日本で育った日本人で、一家に出入りする素朴な青年。吃音で喋る彼と三女とはエスペラント語への関心で通じる。後半日本人居住地区で火事が起こり、避難家族の受け入れ等の作業で疲れ切った夜、様々な人間関係の膿が噴き出す場面となる。ここで働く女性としての悩みに直面する三女へ、長女は「あなたは朴さんと結婚すればいい」と勧める。お似合いの相手であり、ラストでは既に子供も授かり挙式を数日後に控えている、というタイミングで例の決闘事件となる。原作での家族が置かれた条件とは異なる「植民地朝鮮の日本人家族」というドラマでは、悲恋に終るエピソードはそぐわしく「困難」の度合いはむしろ原作より高まりドラマ性は増したように感じる。そして軍人らが「転任」ではなく「撤退」するラストは、通常ならば「民間人を置き去りにして早々と敵前逃亡した日本軍」としてスキャンダラスに語られる史実だが、韓国人である作者の描写は、日本人登場人物ら一人一人を「去り行く者」として括り無常観の中に舞台から消えさせるというものだった。朝鮮側から見れば統治国が撤退し(新たな戦争が待ってはいたが)解放された瞬間である。総員撤退の前、次女の不貞の相手である軍人が撤退前の僅かな時間立ち寄り、一目会ってからと焦る様の未練がましさ滑稽さ、いや醜さは、その罪意識のなさ=愚かさにも通じる。次女が崩れ落ちて大泣きする背後から、常にそうしたように修身担当教員の夫は「昌子」と呼びかけ、こう付け加える。「お前はそうしながらも俺と暮らしていく。」心に迫る言葉を続けるかと思いきや、いつもの如く修身だか借りて来た標語を掲げる。悲しくも笑えるこの夫は夏目真也のキャラならでは。東京デスロックの秘蔵の宝。
    いささかコミカルに演出された不倫カップルの別れだが、名残惜しさに何度か繰り返したブチューのキスは「外地」「不貞」「強制された離別」といった興奮材料からの衝動でもあり、勝手な了見で領土にした側がその余禄ゆえの発情に自ら飲まれる様は滑稽で醜い、という含意も(演出家にその意図はなかったにせよ)読み取れる。
    全体にリアルが基調で「大陸の時間」が流れるのは演出なのか戯曲の指定か・・例えば人の登退場が一、二言の台詞でリレーするような恰好で(短時間の間に効率よく情報を入れ込むのが脚本執筆術であったりするがその反対に)「時間経過が主役」であるような場面があったりする。大きな時間の流れを、ゆったりと感じながらの3時間が全く無駄に感じられず苦にならないのにはきっと理由があったのに違いない。
    最終場では舞台手前右の床蓋が開けられ、階段を下りて日本人が一人ずつ退場した後、地元民である朝鮮人(長男の妻、その若い女中、力仕事をする地元の青年)、そして殺された三女の許婚の朴が、粛々と床に(ピッタリとでなく)蓋をし、その上に白い布をかけて封をする。その布は舞台奥の正面に開幕から掲げられていた映写幕で、日の丸が映っていたのが日本人の退去後に降ろされるのである。一方舞台後方の床に書かれた太極旗の円(赤青)は舞台上がガランとした後にも残り、4人がその周囲を静かに歩き、やがて、手が上がり、足が跳ね、踊りとなる。朴は他の者を見て真似をしている。四人四様の舞が舞われる。その間ずっと(環境音的なノイズは鳴っているが)音楽もなく無音である。伴奏の要らない、何かが満ちていくような踊りの中に、大陸の時間がしっかりと刻まれて行く。残像を残して暗転。

    富国強兵路線を突き進んだ日本は「図」を求めたが、広大な中国にまで手を出し、どういう勝利の形を描いて進んだんだか全く分からないという案配だ。「図」を語る言葉が独り歩きする場面を最近身近なところでも見る事が多い。「地」があって初めて図が描ける。図の周囲には地が実は果てしなく続き、そこには(見届けてないという意味で)未知のものがあり、たとえ「図」の見た目が良くてもそれを図たらしめる「地」との関係でしか「図」は存在し得ない事は意外に忘れられがちではないか。
    「地に生きる」事を知る者は太極の周りを踊る4人のように語らず、語り得ない事柄を知っている事をその態度によって示すものかも知れない。宣伝文句に踊らされ「図」を信じ買わされた者はかつて馬鹿を見た。その戦前戦中と同程度、馬鹿を見たがっている予備軍が今相当数居るとすれば・・。

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    2020/12/24 03:08

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