オレステスとピュラデス 公演情報 KAAT神奈川芸術劇場「オレステスとピュラデス」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    公演も終盤なので書き込みを・・と思えば先週で終っていた(嚔)。
    KAATのホールには4度目。夏の「人類史」ではかぶりつきだったが、今回は2階席から、シーリングの照明機材も(山頂から雲みたく)見下ろす角度で壮観である。思わぬ良席にありついたと心踊ったが、懸念はこのところの眠気。熟睡は免れたが、遠目には表情が見えづらく、目を凝らすうちに斑に抜けた。
    まず主役2人が若手のイケメン、自分は承知しないが終演後周りを見渡せばほとんどが女性(しかも相対的に若い)。ホールで開催される公演はエンタメ系・商業系が占めていたが、集客の算段を思えば切実な問題のようだ(まあ想像の範囲であるが)。KUNIO演出のギリシャ悲劇シリーズ第三弾の注目はなんと言っても瀬戸山美咲のオリジナルである点だ。この無謀とも思える挑戦がどれほどの成果を出したか、レビューの焦点もそれを於いてはない。

    トロイヤ戦争から数年ぶりに凱旋したアガメムノンが、情夫アイギストスと共謀した妻クリュタイムネストラに殺され、その母の裏切りを許せず息子オレステスが母殺害に及ぶという有名な悲劇があるが、この話の「その後」を、オレステスのの友ピュラデスとの関係を軸に・・というのがKUNIO氏から瀬戸山女史へのオファーという事である。オレステス役に鈴木仁、ピュラデス役に濱田龍臣、旅の途中トロイアで出会う女性に趣里、ピュラデスの父に大鶴義丹。他10名がコロスである。
    まず勿体ない感を残すのは、本作は結果的に現代性の濃い劇となったが、この現代性と、コロスとの「そぐわなさ」だ。「型」の決まった動き・声の強さは部分的にあるが、他の場面では「個」としての存在感を部分的に与えられたりするのが中途半端、カーテンコールの時にコロスたちの働きも称えるべきなのだが、「出番の少ない人たち」に終った嫌いはないか・・と。
    母を殺したオレステスは「義」による行為だとしても罪は逃れられない。アテネを追われる身となるとき、友ピュラデスが父の反対に抗してオレステスと同道する事を決め、親子の縁を切られてしまう。二人はある目的地に向かって旅をするが、旅そのものが友情の証である二人の蜜月は、トロイアでオレステスがある女性と出会う事で終わりを迎える。オレステスは女とトロイアで暮らすと言い、ピュラデスは家族との縁を切ってオレステスとの友情を選んだ自分はどうなるのかと嘆き訴える。オレステスは「君も一緒に暮らすんだよ」と誘うが、この時点でピュラデスの描くオレステスとの関係と、オレステスのそれには質的な差があり、見るからに三角関係を呈する。ここからが瀬戸山女史の現代性(限界)と、力業でラストに導く叙述となる。

    趣里演じる女とオレステスは一目で惹かれ合った若者同士。ピュラデスは二人の濁りの無さに向ける矛先を失い、苦悩した末、投身自殺を図るべく崖の上らしい場所へと歩いて行く。この時点でオレステスの存在がぼやけていると感じるのだがそれはともかく、女はピュラデスの行動に気づき、追って来て「オレステスのために生きてくれ」と頼むという展開になる。
    私はここで「もしやギリシャ悲劇の鉱脈を見つけたか」と予感がよぎった。
    敗北した国の民の末路は悲惨であり、今訪れているトロイアの風景には見えていないが、「女」はいたぶられ怨念を抱えた存在であり、復讐だけを目的に生きている人間・・だとすれば、国を滅ぼした張本人であるアガメムノンの息子オレステスはその復讐を遂げる相手に不足はない。ここを死に場所と、女はピュラデスに何らかの促しを行い、オレステスの前で身を投げて死ぬ、という行動に出るのではないかと、予感したのであった。残酷で救いの無い、しかしそこが魅力であるギリシャ悲劇だ・・。

    もっとも、劇はそのようには進まず、ピュラデスをますます強く説得しようとする女ともみ合いになり、女を不可抗力で崖から突き落とす事になる。「人殺し」となったピュラデスが、自分を支配していた嫉妬から我に返り、罪にさいなまれる。
    ここで登場するのは、人間に火を教えたプロメテウス(大鶴)。ステージ中央の細長く高い台上に派手に登場する。人間に与える神託のように高尚な言葉をピュラデスに向けて語り込む。即ち現代の戦争の加害と赦し、嘘の弥縫策で未来を遠ざけるのでなく真実で未来へ踏み出すメッセージを、見事に語り切る(ギリシャの詩劇の台詞量に見合う)。
    コロスによるラップに乗せたメッセージは確かこのあたりで披露されたが、熱く迫ってくるものがあった。
    ピュラデスは、自分が授かった使命に生きる事を決意し、再び旅に出ようとするが、プロメテウスは「女」は死んではいないと言い、すんでの所でつかんである場所(二人が目指していた目的地)に飛ばしたと告げたから、オレステスもまた同じ旅の目標が出来た。という事で、「旅立ち」の大団円で劇は終了する。
    総評的に書けば、行動を紡ぐのが演劇だとすれば、この作品は言葉の世界に相当程度依存しており、見終えたあと残るのも言葉で、人の行動の残像ではない。そこが不満ではあったが、「直視し」「記憶し」「伝えよ」のメッセージを残す本作は「今に呼応すべき」演劇の一つの正解ではないのか?という思いももたげる。

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    2020/12/20 02:21

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