満足度★★★★
昨年末の堀企画第一作を思い出すと、「静寂」という明確な共通点があった。コロナ自粛期を避けて第一作、第二作と幸にも公演が実現し、私はささやかな幸福の時間をもらった。
演目はアングラ演劇の雄、状況劇場、黒テントと並び最も実験的・身体回帰;原始回帰的の路線を突き詰めた転形劇場の、中でも有名な無言劇。という知識だけで実際に上演を観る事ができたのは昨年のKUINO演出(割とオリジナルに忠実だったらしい)による森下スタジオの広々としたステージ。それで今回は記憶をなぞりながら「次は何?」と楽しみに観る事ができたが、何バージョンもの「ジムノペティ」を眠気覚ましに繋いだKUNIOの演出より、今回の堀企画の静謐の味わいがこの演目に相応しく思えた。
と言っても、50年前の舞台を知らず、ただただ想像を逞しくすれば、当時その渦中にあった「時代性」はアングラ演劇の全体的傾向を規定し、身体回帰の「目的」の中には純粋芸術以外の、例えばある種の抗い(社会への)のニュアンスが滲んでいた(あるいは観客がその期待を投影して劇を観、評価した)・・な風に想像してみると、KUNIO演出は(彼はオリジナルの舞台を映像で観たという)木造家屋に合うちゃぶ台を、硬質な現代建築に据え替えた「異化」によって、「時代性」をろ過して残った劇構造に太田省吾の遺産を見出そうとする試みであったとも。。
だが今回の演出では美が追及されている。ちゃぶ台自体の美しさに着目して現代の、アトリエ春風舎の風情ある床と狭さを生かし、地下ならではの静けさを生かし照明、音響を味方につけ一つの世界を作り上げていた。これは原典への別角度からの照射でより踏み込んでいると言えないか。
上演時間70分、抄訳であるのは前公演「トウキョウノート」と同であったが、出演人数はちょうど良く、場面を省略した代わりに一つ一つの場面(奥から人が現れては水場に立ち寄り、去って行く)を振付と言える程の考えられた完成度高い動きで作り込んでいる。青年団俳優でもある演出者の美的イメージの精緻さを思わされる。動きの速度、照明変化の速度、音響の音量、場面繋ぎのアイデア等、統一感があり、じっくり流れる時間の中を彼らは生きている。
しかしこの演劇は何なのか?・・人の営みはシンプルである。と、言葉にすればそういう事であるかも知れぬが、その実在を舞台上にかたどるのは難しく、地味だが中々できない仕事(と素人には思えた)。まあ、好みである。
「静謐」は演出の志向なのか、演目に即してたまたまそうなのか、、ぜひ次の仕事も観たい。