野外劇 NIPPON・CHA!CHA!CHA! 公演情報 東京芸術祭「野外劇 NIPPON・CHA!CHA!CHA!」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    池袋西口公園にて野外劇鑑賞。前やった「三文オペラ」の時より寒くなく、雨もちょうど降らない日にあたり条件よし。
    如月小春作品を観たことが一度も無かった、と思う。そういえばラジオドラマ風なのを30年以上前、坂本龍一が共作者であった事から耳にしたことがあったが、「新しいもの」が次々と生まれつつある「現代」(80年代)から想像された近未来の一風景を描出していた。そこから「時代を先駆的に読みこみ提示する作家」というイメージだけあった。何しろ演劇界の著名人でもその実態がよく分からないのは、同時代的な影響力を持つ演劇人だったからで、時代を遡る作業をしなければ掴むことができないのだろう、と放置していた対象。
    劇は大変面白かった。生楽器演奏の音楽もなかなか活気を与え、ジャジーなのがバックで流れる等は乙であった。
    物語は零細靴屋の苦境を脱するアイデア、陸上選手にうちの靴を履いてもらい、活躍してもらう。そして事情あって身一つで上京し靴屋を訪れた青年を、最初邪険にしていたのを「町内マラソン大会優勝」の経歴を聞くや目の色変わり、雇い入れる。コーチを雇い、新聞記事を書いてもらい、当人は大会のたびに実力を上げ、「五輪」という文字が見えてくる。だがこの美談のような人情噺のような逸話には、オリンピックやスポーツの祝祭性を付加価値とした「金」が動いており、加えて二人の男(元自衛隊員と新聞記者)に慕われる靴屋の娘が、それと知って彼らの協力を取り付ける部分ではえげつなく(演出)「女」を利用する。ちなみに男二人の一方が元自衛隊員の右翼、他方がジャーナリスト魂を燃やす新聞記者(左翼)で犬猿の仲。自衛隊員は陸上に強いのでコーチに、記者は選手の活躍を記事にしてもらうため協力を乞われた次第。だが田舎出の謙虚にただ走る青年の成長に記者は入れ込むようになり、コーチは自らの使命を厳粛なもの(民族を背負う者を育てるという)と感じ始める。足を負傷した事を隠していた青年に気づいて病院に行かせようとするが青年の激しい拒絶に合い、次のオリンピック選考を兼ねた大会で「走りきる」意志を伝えられるのもコーチである(青年は自分の選手生命が「病院」に行く事で閉ざされると直感したらしいと、台詞はないが観客に伝わり、この展開が必然と感じさせるようになっている)。
    父母を亡くした姉弟、肉親の情と連帯、存亡をかけた靴屋の奮闘、従業員なりの悲喜こもごも、生き抜くための策術、何よりも強い恋(肉欲)の衝動、使命感と生きがい・・そうした「物語性」はカリカチュアされた演技と演出で(回想的に描かれている事もあり)描かれて行くが、70年代以降、とくにバブル時代には、高度成長期に存在した暑い(暑苦しい?)「物語」を醒めた目で突き放す眼差しが支配的であった事をよぎらせながら、劇を見守る。・・が、作者はこれを批評的に提示しようとしたのか共感的に見ているのかは、分からず。
    ただ、本作品は如月戯曲を翻案した上演。劇の冒頭には女教師と女生徒が如月小春の戯曲をこれから演じる、という宣言に当たる会話があり、意味深である。作品を2020年の五輪に当て、祝祭の背後にあるドラマとして改めて提示する上演になったわけだが、夢落ち的なラスト(これは原作か脚色か不明)は、評価を観客に委ねるのに使われる手法。私としては、2020年の五輪に重ねるならもっと当てつけが明確にあって良かった(原作翻案の限界だったのかもしれぬが)。
    終幕「もう一つ」と感じた要因は、終始活躍の音楽が、フィナーレで軽快な音楽を持ってきたこと。もっと情感のあるものが相応しかったと思う。劇中で十分相対化された「物語性」をさらに突き放す必要はなかった、という理由で。

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    2020/11/02 12:59

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