氷の下 公演情報 うずめ劇場「氷の下」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    余談:仙川フィックスホールは基本コンサート会場で、舞台上にグラウンドピアノが常設となっている。どうするのかな、と思っていたら、あれ、弾いている。「ヒュードル」でもピアノ演奏があったので、そうした才に長けている役者がいるのだな。でも、演奏は、元本それとも演出?

    役名は「居内陽子」飛行機搭乗に送れることに快感を覚える女性、つまり「居ない様子」
    となると「仰木待町子」は、「奥義数学」?勘違いかもしれないけれど、判る気がする。
    では「光広太」は、うーん。今度、ゲスナーさんに聞いてみよう。

    ネタバレBOX

    福島からコロナへ、そこで振り替えられるべきことが多々あることは判るけれど、誰かが特
    に当事者が「もういいよ!」と言わないと。ただただ駄弁が垂れ流されるばかりの情緒病は
    治らない。「絆」も「ワンチーム」も「寄り添う」も、なーんでもそこに絡めとられて、思
    考停止に暇がないこの10年。ゲスナーさん、発言では慎重に言葉を選んで、被害者心情に
    配慮しているけれど、もういいや、前向こうぜ!と思っているのではないかと思われるのが
    この作品。(違ったら、ゲスナーさんごめんなさい。前説も話すことはないと言っていたの
    でね)

    「自分が不在であることが、自分の存在を強く主張する」
    「誰でも、自分だけは大丈夫だと思っている」等々
    登場人物3人がマシンガンのように(それは結局マシンガンになって、銀行強盗による大
    量殺戮となるのだけれど)吐き出す、状況分析とコンサルティング、情報の大放出の間
    に挟まる、居内陽子のセリフは、まさに慰労を沈黙に求められない悲惨な衝動に突き動かさ
    れる自分への、ささやかな慰め。

    だから、彼女は自宅に戻って、好きなお菓子に囲まれて小さくうずくまって寝入るしかない
    のだ。過去の思い出については、つつましやかに、細かく語れるのに、今を生きようとして
    語ろうとすると、もはや主体は取り囲む情報に翻弄されて、自らを何者とも判らなくなって
    しまう。

    登場人物の心持ちが、ただただ奇特で哀れにしか見えないのは、そしてそれに悲しみを覚え
    るのは、彼等に日ごろの自分の像が反映されているからか。
    きつい作品だ。しかし、久々にすっきりとした作品でもある。
    私たちは、まず長広舌を、冗舌であることを、饒舌であることを辞めなければならない。
    私たちは、本当に何を知っているというのだろう。

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    2020/10/15 16:49

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