満足度★★★★
文化座が10年程前に上演した「GO!」の著者金城一紀の原作小説の舞台化。
「フライ・・」は映画版を見て佳作であった記憶のみ残して詳細は忘れていたが、「これはあくまで恋愛の物語だ」との宣言で始まる(「在日」問題に接続することを拒否する)「GO!」のスピリッツは「フライ・・」にも何処となく流れている。フライの主人公=父親は闘う事を自分に課するが、個の中のドラマの歩みに徹することが人的な広がりを生み、物語の普遍性を生む逆説は、「GO!」が遂げたコロンブスの卵だ。
前夜の新宿梁山泊に続き、「在日」差別に明確に言及する台詞があり、シンクロニシティと思う。語り古された事実でも口にすれば唇寒い時代のせいで新鮮に響く。前夜の芝居の秀逸セリフは「マスク、消毒、検温、ほんっっっと嫌!」。よく言ったこれが本音、本音に罪はない。モラルハザード何するものぞ。
さて芸劇Wでの文化座、このかん見た舞台の多くが「おっかなびっくり」と見えた中では、コロナ後の無事復帰を示す題材として軽快・痛快リベンジ物は相応しかった、と思った。
場内コロナ対策として、ディスタンス客席ではあったが中央の広い区画は席間隔が一席分も取っておらず、その事が劇場客席の趣きをキープし、寂れた感を回避した。これは結構重要な要素かもしれぬ。ステージとの距離は十分で、俳優のマスク、シールド類装着は無し。
演出・田村孝裕の名が目に入る。同作は所謂「復讐物」でも、娘を殴打した相手に文科系出身サラリーマン親父が特訓を受けて立ち向かう「奮闘記」の趣きである。相手は有名人の子息らしい石原某という高校ボクシング全国大会の覇者、方や生白いガリガリ君のしがないサラリーマン。力勝負ではこの対照が「ウサギと亀」の図式、判官贔屓を刺激。
優秀な生徒を誇りたい学校側の教員2名と石原が病院に現われた時、強面教師と教頭に言いくるめられ示談金の申し出に抗えなかった父は、娘の拒絶を受け、親を名乗る資格を失った事を痛感する。絶望感にうちひしがれて刃物を手に学校へ押し入ったところが実は学校違い、そこで偶然出会うのが、夏休みに学校からの「取り調べ」に呼び出されていた変わり者グループ。メンバーの一人が喧嘩の達人、準主役のスンシン(GO!の主役をやった俳優で役柄的に重なる)。「法の外」に生きる術を体得する彼らが、主人公に手を差し伸べる。
目標を始業式の9月1日と定め、主人公は特訓、グループらは「復讐劇」のお膳立てに奔走。この過程のディテイルが作品の目玉だ。スンシンが持ち込む訓練のメニュー、語られる哲学、ヘタレ主人公の変化、二人の交流が、この作品をありきたりなリベンジ物と峻別させている。
「出来すぎ」なオハナシ系、ウェルメイド系と呼ぶならこれに相応しい田村孝裕が文化座舞台を初演出。エンタメ要素を入れながら(例えば笑いの取り方..文化座若手は折り目正しく馬鹿をやっていた)爽快感を吹き込み、バランスが良かった。