桜の森の満開のあとで(2020) 公演情報 Ammo「桜の森の満開のあとで(2020)」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    初演のfeblaboプロデュース公演を思い出しながら、作者本人による演出を興味深く観た。ある大学のゼミで卒業もかかったモック(語尾を上げる発音)、即ち模擬会議を展開する模様が描かれる。
    この会議は安宅市という北陸地方の架空の町の議会機能として採用されている「連合会議」を再現する形で行なわれる。出席者はその帰属先の代弁者という事で「商店」「議会」「漁民」などのカテゴリー名で呼ばれるが、初演ではこの呼び名と人物とが中々結びつかず、かなりアップテンポでラストは煙に撒かれた感も無くはなかった。今回は打って変わり、「こんなに少なかったっけ」とキャスト表を見直した程。

    さてゼミの年度最終試験として行なわれるモック(模擬会議)のテーマに選ばれたのが、「高齢者から選挙権を剥奪する」条例案。「安宅市」はゼミでモックを行なう際の定番らしく、議会、商店、漁民、農民、観光、住民(南)、住民(北)、オンブズマン(勧進帳)、企業に加え、新たに「役場」を宛がわれたメンバー。新参はともかく、勉学とは言えこれと付き合って来たメンバーは、架空ながら既に愛着のある町である様子。
    試験には卒業がかかっているとされるが、本当は皆卒業できるらしいよ、との発言もあったり、「真剣勝負」で議論を行なう事自体に主眼が置かれている、という事で観客は議論の中身に集中する。ちなみに参加者が取り得る立場は賛成、反対、保留の三つ、賛成か反対かを掲げて主張し、通れば成績Aがゲット出来るが、負けたらD、即ち不合格というリスクがある。無難にやり過ごすなら「保留」で合格だが判定はC。敢えてリスクを取って賛成・反対を選ぶ動機は、ある学生の場合志望が国家公務員なので成績Aは欠かせない、といった按配である。以上のルールが、人物紹介を兼ねて前段でさらりとやられる。ゲームの解説が終れば本題である。

    ただし現実のドラマも勿論ある。長らく欠席している女子を、彼女をゼミから遠ざけた本人だと悩んでいる主人公女子がどうにか修了試験(モック)に誘う出そうと奮闘する前段がある。ゼミ生全員の合意という教官が出した条件をどうにかクリア(ここでの交渉術が面白い)した上で、本人に会うも、大学を無意味に感じている相手の同意は得られない。が、食い下がった彼女の思いが通じてか、当日少し遅れて問題児は登場するのだが・・。この現実ドラマはモックでの「賛成・反対」の立場表明とうっすら絡む。
    で、今一つのルールは、会議中は「役」としての発言しか許されず、演じる「本人」から発せられる発言は「メタ発言」として退けられる。しかし実際には感情が高ぶってメタ発言乱発という事もあり、却ってそれが新展開をもたらしたりする。

    初演は「あくまで架空の議論」と、斜に構える系に寄った演技が多かった記憶があるが、今回はそれぞれの人物が相応に「議論」に入り込んでいた(つまりはモックとしては上出来)。それはそれで、矛盾を抱える箇所も無くはないが、議論の深まり自体こそ恐らく本作の狙いだろうから、演劇的な高揚に繋がった成果の方を肯定的に見たい。

    ただ模擬会議という「劇中劇」を終え、現実世界に戻っての大団円は微妙なニュアンスを残す。深刻に対立していたと見えた二人の女子学生が談笑している。対立自体が「振り」なのかと疑ったがそれは無かったよう。誤解をしっかり解く説明が十全であったとは思えず、そこまで複雑にしなくても・・と私などは思ってしまった。

    議論はあくまで議論、現実は現実と判ってるが、でも無駄では無かったネ・・と芝居としてはまとめたい所だが、大学入学・成績という人の進路を決定付けるシステムへのシニカルな視点が強く混じると、議論そのものの価値が揺らぐ。複雑な気分になる。

    ネタバレBOX

    設定や人物の行動、またシステム上の矛盾など、気になった部分は一つ二つではないのだが、議論の焦点を見ることで芝居は面白く観る事ができる。そして割とさらりと流している議論の終局での展開の中に、重要な示唆を含む論点がある。

    当初から「老人選挙権剥奪」案に「反対」の立場をとっていた主役の女性が、利害の絡む案件で「賛成」多数の情勢となった後半では、安宅市が特区として法案を条件に補助金が下りる事を暴くが、それでも票差は動かず敗勢、結局は新提案(裁判で言えば新証拠)がなければ法案に賛成せざるを得なくなった時、法案の欠陥を実質解消するその条件を捻り出す。思い切りネタバレだが「若者の被選挙権を奪う」という付帯条項だ。

    思考の背景には、選挙権と被選挙権の役割の区別がある。「老人」が人口比率的にも、実社会的にも決定権を行使しており(企業その他組織の幹部、政界エトセトラ)、老人のための「変わらない」決定がこのまま続けば、地方都市のひとつである安宅市がこれまでと同じく衰退していく、との認識がある。
    さて老人の選挙権は(自分たちの代表である)「老人を選ぶ」行動に結実する。だが法案が通れば彼らは自分らの代弁者を選ぶ事ができない。しかし「若者が選ばれる」選択肢をつぶせば、老人が選ばれるしかない。だがそれは若者の代弁者として選ばれる、という図式である。これは単なる制度変更で終るものではなく、若者が老人たちに自分たちの要望を伝える、という行動が伴わなければ意味をなさない。若者は自分たちが何を望んでいるのか、何が必要だと考えるのか、において責任を担い始める。制度にとどまらないこうした世代コミュニケーションのダイナミックな変容がここには想定されている、という事なんである。
    現実にはこんな施策が実現するなど考えられないが、こうまでしなければこの社会どうにもならんのではないか、という感覚には深く同意した次第。

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    2020/03/22 09:21

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