きらめく星座【公演中止3月5日(木)~8日(日)】 公演情報 こまつ座「きらめく星座【公演中止3月5日(木)~8日(日)】」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

    山とある井上ひさし戯曲でも再演頻度がえらく高い今作を一度観ておこうと足を運んだ。最も井上ひさしらしい娯楽性・社会性ともに高い作品、と思った。対米開戦前の日本では、既に歌舞音曲が規制され、国民を統制に導く標語が踊り、敵性言語(英語)が敵視され、軍服姿が行き来する。時代は戦争。一方舞台は都東京市のどこか、オデオン堂なるレコード店。この取り合わせで井上氏は両者の正面衝突を巧く回避しつつ、「こちら」側の土俵である歌の世界で勝負する。人間の心の襞を表現する歌曲、踊り、その人間が紡ぐドラマ、芸術・・これら大義(戦争)と対置されるものへの作者の深い愛情がこの上なく成就した娯楽作にしてプロテスト芝居。

    ネタバレBOX

    「青空」と言えばエノケンだか二村定一と思っていたが、芝居では女性歌手が歌い間奏で台詞を喋るので映画の一場面を盤に刻んだ物のよう(違うかも)。レコードを出したプロダクションに、この歌手と同期で所属したのがオデオン座のおかみ(店主の若い後妻)、といったエピソードも井上ひさしなら考証済みの史実か、はたまた。。他の家族や店員の設定はどうだろう。虚実はともかく作劇の妙。出征中の店の長男は砲兵隊を脱走。憲兵が実家に出入りするが、その内長男が姿を現して曰く、音楽を学んでなまじっか耳が良いばかり砲弾の音に耐えられず逃げ出した。そのお陰で石を投げられ窓ガラスを割られる始末。娘の傷夷軍人に嫁ぐ(が、実家のレコード店で親と同居)決意が、皇国の美談記事で店の窮状を救うための挙であるエピソードも悲劇的でなくさらりと、むしろ逞しさと描き、スポットを夫の過剰なまでの皇国臣民ぶりに当て笑いにまぶす。ところがこれを伏線に戯曲は後半無理なく下手投げを食らわす。笑える場面として店内のポスター(レコード「青空」)を剥がして御真影(天皇皇后の写真)を飾る際のやたら畏まったい手順があるが、妻の手から両手でそれを受け取り、かしこみつつ飾るという一連をやる。一見問題なく日常生活を送る彼の傷とは、実は右手首から先が無い事。彼は手の形をしただけの義手を手袋のように装着し、周囲も(観客も)違和感を顕在化させないが、寡黙な娘が口を開く事で「戦傷」というものの実態を知る事となる。
    「外」からの爽快な風を吹かせるのが意外や浮世離れした脱走兵の長男。時々の職業で服装を変え、実家に顔を出しては土産を置いて行く。
    さて終盤はヤミ米を求めて奔走する夫婦の姿に「歌」をもってしても癒えない現実の殺伐さが覗くが、事態の逼迫の延長に戯曲は赤紙をもらった近所の二人の青年(少年と言ったが正しいか)の訪問を据える。近所の目を気にしながらレコード店を訪れた彼らの口からは意外な言葉が吐かれる。召集が彼らの抑え切れない欲求を吐露せしめたかのその言とは、出征前に一度だけ電蓄(電気式蓄音機)で「青空」を聴きたい、というもの。新しい店主となった例の婿が、古いレコードを処分した事を詫びると、元歌手の後妻がかつてのライバルのその歌を自分が歌うと申し出る。原曲とは全く異なる彼女流の、しかし万感の思いを込めた歌の時間が、場内をピンと張ったピアノ線のように静める終盤のクライマックスだ。やがて合唱となるは「狭いながらも、楽しい我が家..」そこから引き離されて行く青年たち、彼らを待つ家族、つましく生きる人々の住まいと、それが象徴するあまねく人生にとって、そこに真に寄り添うものは何か・・理屈でない強靭な、フラジャイルなメッセージの滴りをただ飲み下すのみのエンディングである。これを書き上げた作者に脳が白旗を掲げ、血が体がざわつく。

    無いものねだりだが、井上ひさしが、忌野清志郎が、筑紫哲也が生きていたら、今の時代に何を言った(歌った)だろう。。

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    2020/03/15 07:56

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