苺と泡沫と二人のスーベニア 公演情報 ものづくり計画「苺と泡沫と二人のスーベニア」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    ものづくり計画初観劇。知人が過去作に出演していた事を知り親近感UP、また再演を重ねた前回公演の評判も記憶に。今回はレギュラー作演出でなく、勝又悠氏という映画畑の作・演出二度目の公演であるが、上野ストアハウスは冒険に相応しい劇場。
    演劇とは興味深いもの。不思議な感覚の中で興味深く舞台上の「現象」を目で追った。

    ネタバレBOX

    一定の年齢幅に収まる若手俳優(女性多し)の芝居。中心グループは20代後半の設定(他も下が20代前半、上は30過ぎといった所か)、だが恋バナの風景は高校生のそれに近い(片思い含む。友達でわいわい共有、等も)。もっとも中心グループ6人組は高校時代ダンスを文化祭で発表した「青春」を共有した仲で、酒が入れば往時に戻る、と見れなくもない。
    簡素な装置、照明変化で場面の移行、消え物なし、後部席からの遠目で容貌や表情がクリアに見えないことも助けて、全体の流れを鳥瞰的に見る格好になった。

    最小限の素材(カット・台詞)でドラマを成立させる技は、編集を旨とする映画の人ならではだろうか。
    まず居酒屋で騒ぐ6人グループ(主人公みなみが属する)の席に女店長が連れてきた新人バイト女子と一人ずつ自己紹介させるというリアリティすっ飛ばした導入から、観客のディテイルへの関心を削ぎながらも、舞台の方は馴染みやすいテンポで場面が変わり、「振り」を受けての次の場面という具合に巧く運んで行く。音楽、映画と同じくリズムが優先されている感がある。時間の芸術である音楽・映画は、極論すれば内容よりリズム(言葉の芸術では口調、文体に当たるか)を味わうもの。英語を知らずともLed Zeppelinに熱狂できる由。本舞台も人物の掘り下げが薄くともストーリーの展開に注視させるにはそれなりのテクニックが駆使されているのだろう、観る側(私)が勝手に人物の背景を与え、コマを動かし始める。中身にさほど執着なくとも。面白いものだ。
    もう一点は、殆ど居酒屋でしか喋らない仲良しグループのナチュラルな会話の発声とテンポが地味に場面の意味伝達に貢献し、高校演劇にしばしば見出だす彼ら固有の(と信じさせる)台詞及び超ナチュラル演技に通じるものが(これは監督の過去作=映画の題材にヒントが)。高校生ノリの恋愛話の続く冒頭しばらく中年層は置いてかれるが、やがて彼ら彼女らなりの苦悩が覗かれ、共感の対象に浮かんでくる。
    主役=みなみは彼氏と7年付き合って煮詰まっている状態。この二人の恋愛が最終的には中心線になるのだが、幸福なはずであるのは二人が仲良しグループ公認のカップルである事、ツツヌケである訳だが、要は「助っ人」は余る程いる。「甘い」と突っ込まれればその通り。

    場面は居酒屋(酔笑苑)とその近所のバー(カラオケがある)のほぼ2箇所。
    登場人物は大きく分けて6組。
    酔笑苑のおかみとバイト娘2人、バーのマスターと女性従業員、主人公の高校時代の仲良しグループ(6人)、主人公の職場の先輩2人、いかがわしい店(スーパーガールズ)の店長(男)と女性従業員、デブ専男とイケメン男とそれぞれの彼女の4人。で、どの組にも属さないのは主人公の彼氏、主人公の親友となる女の子(居酒屋新人バイトがそれ)の二人。
    「事件」は、イケメン男が年上のみなみに目をつけて誘い、みなみは疲弊のさなか、新たな恋の到来と浮かれ、やがて付き合う決断をし前の彼と別れるが、相手はクズ男であった。男はいずれ制裁を受けるが、その他のエピソードとして仲良しグループのリーダー的存在(エリート)が職場の銀行を辞めたが隠している事、スーパーガールズのマスターと恋仲の女性従業員とで何か画策しているらしい事、居酒屋のバイト2人があっさり辞め報酬の良いスーパーガールズの面接を受けた事、などなどが挟まれる。
    銀行を辞めた女性のエピソードは丁寧に描かれ(少々センチメンタルに寄ってるが)、離反と友情物語の常道を辿り、他の逸話は味付け程度。ここで少々問題ありと思うのは「いかがわしい店」エピソードの顛末。
    ドラマの都合なのだろうが、マスターと女性従業員の「謎」がラスト、ミュージシャンとしての夢を叶えるためにやばい店?を頑張ってお金を100万貯める目標を達成した事が判明。彼らは「いかがわしい」目的ではなく、音楽を目指すという「健全な」夢を持っていた、という種明かしを晴れがましくやってしまっている。職業に貴賎は無い、という事を踏まえているにしても、そこで働くしかない人間を、差し置いて脱して行く人間の「成功」にスポットが当てられる。しかも彼らは元々音楽活動をやっていて、地元では知られているのよ、と聞かされる。だったら音楽で勝負しろよ、という話だが、彼らはお金をテコに成功を手にしようとし、カネを貯めるために期間限定で「いかがわしい」仕事に手を染め、しめしめ金が貯まったら「抜け出せない人達」を店で買っておきながらそつなく抜け出して行く訳である。ケツに蹴りを入れたくなるエピソードだ。ほんの脇筋に過ぎないが、これを美談に収めている事はかなりのモヤモヤ。
    例の、どの組に属さない女の子(=みなみの親友、暫く会わなかった)は一方のヒロイン然と存在し、身の振り方が注目される所、じつはスーパーガールズで働いており、才能を認められ、また彼女自身も「新しい夢をみつけ」、音楽グループとしてのスーパーガールズ(いかがわしい店としての、でなく)に加入する事になったと発表。汚い仕事としての「スーパーガールズ」から、抜け出した者だけで、この物語の登場人物たちが占められるが、彼らはどういう徳目によってその立場を得たのだろう。対照的なのは酔笑苑をやめてスーパーガールズに走った女子が身が持たないからと断念した事、つまり苦労を耐え忍んだ者が成功を手にするのだ、とどうやら「説明」を施している。
    演劇というもの、容姿がその大部分をなす「存在感」が、配役にも反映する所あり、中心的な役が「成功」を得るのに根拠が薄ければ、意図せずして「容姿が良かったから」という因果関係が不可避に残る。・・この種の陥穽は、今のオリンピック、スポーツ界でのメダルへの固執に通じる気がするのは私だけ?

    さて、みなみとその彼氏が主役とすれば準主役が仲良しグループになるが、それは、勤務先の銀行を退職していた事実を隠していたメンバーやみなみに対して、終盤ようやくにして彼女らの真顔の台詞が吐かれる事でその内実を表わす。悪口も言い合う仲という所が、この芝居が見せた一つの成果。彼女らの現在の会話がいつしか高校時代へと遷移し、文化祭で発表したダンスのシーンになるなどは中々ぐっと来るものがあった。思い出は美しくて良く、芝居の上でも(だからこそ)存分に美化することが許される。時間の経過とともに「変化」していく哀しみ、無常観、切なさが大きくはテーマに流れている、と勝手に解釈してそれなりに哀感を受け取ったが、やはり終局での個々の展開に工夫が欲しかった。どうにもならないもの、解決できないものの方に着目し、だからこそ仲間であろうとする・・そんな構図が浮かび上がって来たかった。

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    2020/02/07 03:07

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