満足度★★★★
パフォーマーとしての川村毅は新人戯曲賞審査会で垣間見ていた。「やり手」であった(審査員や司会としてだが..何しろ声が通る)。その川村氏が昨年の審査会に姿を見せなかった。昨秋の劇団公演あたりからどこか孤独な勝負師のオーラを出していたが(個人の印象)、どうやら劇作家協会からも撤退したらしい(恐らく)。
組織に居る事の安定と窮屈さから抜け出たのだとしたら、やはり真っ向勝負を始めたという事ではないか・・。等というのはゴシップ並の憶測であった(失礼)。だがそんな想像と今回の「クリシェ」は妙に馴染んだので、ゲテモノ見たさに足を運んだ。
劇場へ走ったが冒頭を見逃し、語り手役の男が導入で語った情報がどこまでであったか・・老いた元女優姉妹が住まう邸内の状況が、見終えた時点で悔しくもスッキリ解明できず、未消化(いつか戯曲を立ち読みするつもり...コラ)。
だがそれをおいても、過去の栄光に浸り、今がその時であると倒錯し、周囲を巻き添えにして生きる・・その姿そのものを「こわい」と思うのは何故か。自分がそうなりたくない(だがなるかも知れない)醜さへの恐怖。守りたいものなど無い、と思っている者でも、恐怖映画を見て恐怖をおぼえるのは、やはり何かを守ろうと構えているから。恐怖はだから、己が美的感性、願望を指し示している。そして勿論、そこには差別の根源がある。
ナルシスティックな悲劇的な叫びを観客が受け止めるのでなく、グロテスクの様相に観客が叫びを上げる。最大のガス抜き。もっとも今作は謎解きの順当な道筋をたどる折り目正しいお話のようで。
グランギニョル、という見知らぬジャンルを観たく一時期焦がれたものだが、今作がそれだとしたら想像と違った。BGMに阿鼻叫喚の声、人が死にまくる、血を浴びて快感!・・そういう劇団既にあるが、これは何だろう。破壊願望か。ふと思い出したのは、小学生の頃、お化け屋敷に憧れ、住みたいと思った。怖いものと同化したい欲求・・少年期特有のもの? 性的な領域とどこか繋がっていた気も。。
人が人でない存在によって不可避に苛まれる状況が、人を「生」へと駆り立てる・・その力を求めていたのかも。
一体何の話だ。