満足度★★★★
「悪霊」は20数年前に読んで、なかなか怖い小説だった。今回、舞台を見て、かなり忘れていたことを思い知らされた。改めて発見することも多かった。冒頭の語り手役が言ったように、西洋の自由主義思想家のステパンという人物がいたこと、その影響下の青年たちの起こした事件だということ、全く忘れていた。それとも、これはカミュの脚色なのか? いずれにしても、ドストエフスキーによる革命思想・社会主義運動の批判である本作の思想的構図が、はっきりする設定である。
休憩10分込みで3時間半の長丁場の劇。マリア兄妹は「カラマーゾフの兄弟」のように、醜い第三の男によって殺されるし、悩めるスタヴローギンは、ラスコーリニコフのように聖女によって信仰を取り戻す(ただ、その結果は真逆)。というように、ドストエフスキー的世界をたっぷり堪能できた。
個々の人物像もわかりやすいし、生き生きしていた。戯曲と演技、演出の総合的な成果であろう。余計者インテリのステパン、内気な聖女・ダーシャ、奔放な女リーザ、陰謀的革命家ピョートルなど。「悪霊」ではスタヴローギンが著名なキャラクターだが、ピョートルのことをすっかり忘れていた。キリーロフを思想的自殺に追い詰めるのもスタヴローギンと思い込んでいたが、実はピョートルだったとは。西欧自由主義思想の実践者をこの二人に、性格を分けたところが、この作品に一層の深みをもたらしたと言える。
殴る蹴る、倒れる、転がる、泣く叫ぶ、嘆く怒鳴る…。登場人物のぶつかり合い、喜怒哀楽の振幅が大きくて、大変な迫力だった。これぞまさにドストエフスキー的。秘密結社の青年たちの「奴隷の平等」思想とリンチ殺人の論理は、スターリン体制から連合赤軍事件・オウム事件までも予見したかのようだった。身につまされる、とは言わないけれど、ドストエフスキー世界の深淵にふれることができる貴重な舞台だった。
先日のシアターコクーンの舞台「罪と罰」より、ずっと登場人物もリアルで、苦悩と葛藤に迫力があったし、重層的なプロットで飽きさせないし、思想的にも突き刺さるものがあった。