悪霊 公演情報 悪霊」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.0
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  • 満足度★★★★

    「群盗」に次いで、この劇団は2度目だが、今度はドストエフスキーのこの作品を取りあげたか、と。重厚でオーソドックスな演出で、台本によるのかもしれないが、物語の流れがわかりやすく、俳優たちも、総じて良く演じていた。この劇団の重厚な舞台をまた観たい。

  • 満足度★★★★

    風姿花伝にて中々本気勝負の芝居を観た。『胎内』『夜への長い旅路』など重厚な古典に挑戦しているユニット、とだけ。俳優陣そして演出も恐らくは若手であろう(三十路も若手の内ならば)、初めて観るユニットであったが作品世界に肉薄していた。
    原作は読了していないが、何つってもワイダ監督の『悪霊』。二十代前半の心はガクガクと揺さぶられた。以来特別な思いがある作品だけに期待を募らせて劇場を訪れたが、休憩挟んで3時間20分興味津々、人物達を凝視し続けた。
    映画の方は二十年以上観ていないのだが鮮烈な場面が断片的ながら記憶に刻まれ、観劇は結末までの道程をなぞる時間になった。ドストエフスキーの原作を、カミュがどの程度脚色したかは不明だが、映画版より原作に近いと推測された。映画はシャートフ目線で描かれ、舞台には登場しなかった妻(イザベル・ユペール)が恋に破れてシャートフの元へモスクワから戻る場面が序盤にある。この二人のプライベートな空間の描写が、結末を一層痛切なものにしていた、という事に今回気づいた。登場人物とエピソードがある程度そぎ落とされ、印象的な場面が断続的に連なる中から背景を類推させる作りであった(まあ映画的処理であるが、画面と人物が非常に印象深い)。
    一方舞台のほうは冒頭から新劇の味わいで(外国戯曲ゆえか)、人物が面白く登場しては絡み合って行く。エピソードの繋がりがきちんと説明され、それでも登場させた人物全ては描き切れず、小説が描く物語の壮大な広がりを想像させた。
    ロシアの地方都市の青年が「先進思想」にかぶれていく過程の中で、悪魔が暗躍する。権力や指導的地位への欲望・復讐心が、平和や人々の幸せの実現のための社会改革という目的を凌駕する。悲しい現実は、わが国の「左翼」が陥った一つの帰結である連合赤軍事件に殆ど直結するが、これは閉じた組織内の事でなく、私には今の現実そのものが策士ピョートルの罠に嵌った状態にみえる。「おかしい」と思いながらそれを言えず同調してしまう、策士が勝利した社会。

  • 満足度★★★★

    「悪霊」は20数年前に読んで、なかなか怖い小説だった。今回、舞台を見て、かなり忘れていたことを思い知らされた。改めて発見することも多かった。冒頭の語り手役が言ったように、西洋の自由主義思想家のステパンという人物がいたこと、その影響下の青年たちの起こした事件だということ、全く忘れていた。それとも、これはカミュの脚色なのか? いずれにしても、ドストエフスキーによる革命思想・社会主義運動の批判である本作の思想的構図が、はっきりする設定である。

    休憩10分込みで3時間半の長丁場の劇。マリア兄妹は「カラマーゾフの兄弟」のように、醜い第三の男によって殺されるし、悩めるスタヴローギンは、ラスコーリニコフのように聖女によって信仰を取り戻す(ただ、その結果は真逆)。というように、ドストエフスキー的世界をたっぷり堪能できた。

    個々の人物像もわかりやすいし、生き生きしていた。戯曲と演技、演出の総合的な成果であろう。余計者インテリのステパン、内気な聖女・ダーシャ、奔放な女リーザ、陰謀的革命家ピョートルなど。「悪霊」ではスタヴローギンが著名なキャラクターだが、ピョートルのことをすっかり忘れていた。キリーロフを思想的自殺に追い詰めるのもスタヴローギンと思い込んでいたが、実はピョートルだったとは。西欧自由主義思想の実践者をこの二人に、性格を分けたところが、この作品に一層の深みをもたらしたと言える。

    殴る蹴る、倒れる、転がる、泣く叫ぶ、嘆く怒鳴る…。登場人物のぶつかり合い、喜怒哀楽の振幅が大きくて、大変な迫力だった。これぞまさにドストエフスキー的。秘密結社の青年たちの「奴隷の平等」思想とリンチ殺人の論理は、スターリン体制から連合赤軍事件・オウム事件までも予見したかのようだった。身につまされる、とは言わないけれど、ドストエフスキー世界の深淵にふれることができる貴重な舞台だった。
    先日のシアターコクーンの舞台「罪と罰」より、ずっと登場人物もリアルで、苦悩と葛藤に迫力があったし、重層的なプロットで飽きさせないし、思想的にも突き刺さるものがあった。

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