十二人の怒れる男 -Twelve Angry Men- 公演情報 feblaboプロデュース「十二人の怒れる男 -Twelve Angry Men-」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

    映画でも有名な物語であるが、演劇と映画を比較することはナンセンスかもしれない。しかし、それぞれの特徴を示す観せ方を感じることができ大変興味深かった。まず演劇はよほどのことがない限り、当初座った客席(場所)から動かない。その意味では定点観劇といえるだろう。一方、映画はカメラ位置、その撮影方法によって色々な観せ方をする。例えばアングル(といっても室内だけだが)、表情のアップなどの切り取りは提供(上映)された印象(映像)に止まる。もちろん観る人の感性によって違いはあるが…。
    演劇は、個々人の表情を生(ナマ)で間近で感じる迫力がある。また映画はアップになった時、それ以外の人々の表情や動きが分からないが、演劇(3方客席)は登場人物の全体感を観ることができる。だから台詞のある人物だけではなく、他の人物を注視することも可能だ。視覚という直接的な刺激は、小説などの脳内想像とは別の意味で、観ている人の脳裏に強く印象付ける、そんな観応えある公演だった。
    (上演時間1時間55分)2020.1.16追記

    ネタバレBOX

    原作は室内法廷劇の傑作として有名。多くの劇団で上演されており、その作品をどう観せるかに興味が惹かれる。舞台セットは極めてシンプルで、テーブルを囲み12人の男が座る。

    梗概は、暑い夏の午後、1人の少年が父親殺しの罪で裁判にかけられる。無作為に選ばれた12人の陪審員たちが、有罪か無罪かの重大な評決をする。しかも全員一致の評決でないと判決はくだらない。法廷に提出された証拠や証言は少年に圧倒的に不利なものであり、陪審員の大半は少年の有罪を確信していた。意思表明の結果、有罪11票、無罪1票。それから男たちの討論は次第に白熱したものになっていくが…。

    この作品は民主主義そのものを問う。その民主主義は特定の人種・民族に帰属するものではなく、あらゆる人間に対して平等でなければならない。登場する12人の陪審員は、まさにアメリカ社会の縮図。彼らの背景は、それぞれ貧困(民)育ちや移民というマイノリティ層、そのマイノリティに対して人種差別攻撃を繰り返す独善的な人。また、この場においてリーダーシップを発揮しようとしたり、冷徹な論理者、知性豊かな老人、そして事件そのものに無関心な陪審員など個性(?)豊かな登場人物。

    アメリカという国の特色を滲ませた作品をどのように伝えるか。民主主義…偏見に満ちた態度はやはり問題を浮き彫りにさせる。そのバイアスを介して人(少年)の生死という究極の判断を迫る緊迫した場面。映画のワンシーンと違い、芝居では室内にいる陪審員の全員を俯瞰できる。その意味で観客は13番目以降の陪審員としてその場に臨んでいるようで観応え十分であった。偏見を介在させることで法廷劇の醍醐味であり真実の見方に挑む。偏見を排除するのは難しいく、偏見は真実を曇らせる…は法廷劇らしい。

    激熱した会話の応酬が緊張した雰囲気を作り出す。会話だけではなく立ち座りの動作にそれとなく意味があり、立場の強調が表れている。動作と言葉(台詞)が緊密に連携しているように感じられ上演時間2時間弱がアッという間に過ぎたように思う。それだけ役者の演技、それを演出した舞台。実に濃密で観応えがあった。
    次回公演も楽しみにしております。

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    2020/01/13 23:09

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