満足度★★★★
観劇したあと一晩たって考えたことです。劇本体とは直接関係ありません。ただ観劇で触発されて感じたことです。
学校で暴力事件を起こした自分の息子に語りかける父親。
父親や信じている。息子を愛情深く理解すれば必ず息子は自分に心を開いてくれる。そしていつもの優しい息子に戻ってくるはずと。
しかし息子からは正反対の態度。お前は俺のことを理解していないという攻撃を受ける。
思うもかけない態度を向けられると人の心は発火する。
私達の日常生活でも同じだ。
一生懸命仕事して評価を受けると思ったら上司に罵倒された時。
お客さんのためにと思ってした仕事なのにお客さから厳しい八つ当たりをされた時。
自分が思いもかけない態度を相手から受けたとき、人は一瞬とまどう。いったいこれはどういうことなのだろう。コンマ何秒か動揺する。そのとまどいと動揺。そのパニックが「発火」だ。
発火したあと人の行動はそれぞれだ。
何とか取り繕うとするケースもある。
そのまま凍りついてしまうケースもある。
相手の真意をまず理解しようと表情をくいいるように見つめるケースもある。
とにかくその「想定外が起きたときのパニック(発火)」が心の中に発生する。
上手な役者は何と自在に自分の心の中で「発火」を起こせる。
相手が自分が信じていた行動と全く違う挙動をした時のパニックを自分の意思で再現できるのだ。
素人は自分の意思で自分の心を「発火(コンマ数秒のパニック)」を起こすことは出来ない。「発火」とは役者の忍耐強い努力と練習と観察によって、初めてなし得るプロのわざである。
素人が役者のマネごとをすると「発火」が出来ないから、表面だけの表情とか言葉の間合いだけで演技をしようとする。「発火」という土台を伴わない演技。それを「大根」と呼ぶ。
もっとひどい素人は、ただただ自分の感情を大声で観客にぶつければ、それがエネルギッシュな演技と勘違いとしている。それはスナックで大声でがなっている酔っぱらい客のカラオケと同じ。自分だけ酔っているマスターベーションだ。演技ではない。
女性3人の役者さんはプロの「発火」の演技だった。素晴らしい。
良い役者さんとは「発火」が自在に出来ること。そしてその「発火」の引き出しが多いこと。百種類もあるだろう。
「発火」させるのは当たり前。どの発火を使いますか?というのがプロの役者さん。
プロの役者とは常に自分の心を観察して「発火」を磨きつづける人のこと。
素人は人から傷つけられたときに、ショックをうけて動揺するだけ。相手に腹をたてるか、凍りついて動けなるかだけ。
プロの役者はそんな時でも自分の心を観察している。ああ。自分はこういうように動揺するのか。こういうように傷つくのか。その時自分はどう反応するのか。一つずつ常に冷静に自分の心を観察する。それがプロの役者だ。自分の心で自在に「発火」を起こさせるために。常に自分の心を観察して、自分の心のハンドルを手放さない。
そしてプロの役者は常に人を観察している。人が動揺したとき、どう反応するのか。どういう「発火」があるのか。その観察がその人の引き出しを豊かにしていく。
だから理不尽な社会から逃げる人間は良い役者にはなれない。
理不尽な社会こそが、自分の「発火」を観察する絶好の機会だからだ。自分が一生懸命仕事しても罵倒する上司。八つ当たりする客。もうその時自分の心はどう反応するか。そして自分はいつでも自在にそれを再現することが出来るか。
理不尽な社会での仕事こそが一番の役者の肥やしだ。
私達は年をとるにつれて心が固くなる。それは自分を守る心の反応だ。あまりにもたくさん人から傷つけられる体験を繰り返すと、人の心は自分を守るために鈍感になっていく。心が固くなっていく。しかしそれは役者にとって致命的だ。
プロの役者は常に自分の心が傷つくことを恐れない。自分の心がにぶくなると、自在に「発火」できなくなるからだ。良い役者はいくら年をとっても子供のように目がキラキラしているのはその理由だ。
良い役者とは年をとっても心が柔らかい。
柔らかいというのは傷つきやすいということだ。
それでも良い役者は自分の心が傷つく様子をもう一人の自分で観察している。なるほど。なるほど。そして「発火」の引き出しを増やしていく。素人の人間には出来ない心の鍛錬だ。
役者は不器用な人ほど大成する。
それは地道に「発火」の鍛錬を続けるからだ。
毎回「本物の発火」を行うには本当に地道な努力が必要だ。
所詮演技は嘘だ。その嘘をどこまでリアルに出来るかが演技の挑戦だ。
自分が実生活で傷ついた時、それは大いなる機会だ。
自分が役者として行っている「発火」と、実物の自分として傷ついた時の動揺の「発火」とは何が違うのか。と観察し続ける。
どうすれば自分の演技の「発火」を少しでも本物に近づけられるか。
もう本当に報われない努力の継続の蓄積が、その人を本物の役者にする。
実社会の理不尽から逃げないこと。
実社会の理不尽で自分の心が傷つくことから逃げないこと。
自分自身の傷つく体験を観察しそれをサンプルとして、自分の演技の「発火」を磨き続けること。
良い役者とは例外なく自分自身にストイックである理由。
舞台の上は派手だけれど、実際の生活は地味。自分の心の観察と鍛錬という孤高の職業である。