酔いどれシューベルト 公演情報 劇団東京イボンヌ「酔いどれシューベルト」の観たい!クチコミとコメント

  • 期待度♪♪♪♪♪

     以前、少し書いたのだがモンテーニュは「エセー」の中で、魔女とされ知らぬ者の無いほど有名だった女性をはじめ彼が招かれたある領主の城の牢に繋がれていた魔女とされた者らと対話した経験を綴っている。そして彼はこの女性達は精神を病んでいるのでその治療をすべきだと書き残している。魔女裁判については多くの本が書かれ、ジャンヌ・ダルクも明らかに政治的意図によって魔女とされ火刑に処されたのだが、彼女が囚われて後、何度も着衣をズボンにしてくれと請願した証拠が残っている。無論、牢番などにレイプされていたからである。彼女が自ら処刑されたのは、恐らくは穢されたが故であろう。何れにせよ、ジル・ド・レ程の男が狂ったように領内の子を捉え、黒魔術に耽った原因を自分はジャンヌの死に求めている。
     我々、ヒトの大半は、己が身に着けた習慣から逃れることが無い。それが一番楽だからであり、それが宗教という名の共同幻想という言い方が悪ければ共通の幻想によって保障される時は、更にこのはても無い宇宙の只中でたった独りであるという根本的な孤立からも目を背けていられる。良く誰かを愛せば云々とヒトは言うが、一緒になった所で孤立が2つになるだけの話。人間関係の深淵はそれほど深かろう。悪魔が神の善を証明する為に創られた存在だという解釈を含め、無論、神等本来人間が作り上げた虚妄に過ぎないか、或いは、古代の人々が出会った宇宙人の喩という可能性はあるが。普通に考えれば前者であろう。ただ、想像力を二元論に用いる場合には、神と悪魔の対立軸が極めて効果的であることは事実。

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    2019/11/16 21:47

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