組曲虐殺 公演情報 こまつ座 / ホリプロ「組曲虐殺」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

    井上ひさしの遺作となった小林多喜二の評伝劇。再再演で私も3度目に見る舞台だが、今まで以上に、小曾根真の音楽に惹きつけられた。歌の伴奏だけでなく、特高に追われるところなど、ピアノだけで緊迫感や悲しみを語るところもあって、今まで気づかなかった「組曲」の意味を再認識した。

    戯曲も実は、モチーフの繰り返しが仕込まれていて、音楽的である。「胸の映写機」は2場の大阪での警察の取調室で提示され、8場の多喜二(井上芳雄)の最後の場面で豊かに展開される。「月」は3場の立野信之の家と4場の独房で繰り返され、「靴底の歌」も3場のあと、7場の地下生活で再想起される。二人の特攻警官(山本龍二、土屋佑壱)の貧しい生い立ちも、2場、5場、8場と変奏され、徐々に全体像が分かる。これなどは最後に種明かしする「闇に咲く花」などの作劇術とは違い、音楽的といえるだろう。

    1場の小樽の三ツ星パン屋の歌も、伯父のもとで多喜二が働いたこのパン屋が、多喜二に貧しさと苦労を教えて「ホンモノの作家を焼き上げる」から「日本で一番のパン屋さん」と歌っているのも、改めて気づかされた。
    7場の地下生活のアジトでは、多喜二に苦界から救われた田口タキ(上白石萌音)が「小林多喜二くん」と呼んで、キイワード「絶望するな」と言う。タキは恋人のはずなのに、普段は「多喜二兄さん」としか呼べず、精一杯「さん」づけにしようとしている。なのに、ここでは「くんづけ」である。「くん」と呼ぶのはここだけなのである。二人の関係性自体がここでは特別であり、だから、「絶望するな」と言えるのである。
    噛めば噛むほど味が出る戯曲である。

    ネタバレBOX

    初演の時は、果たして井上ひさしが小林多喜二をどう描くか、多少不安を持ちながら見た。平野謙流の「非人間的な組織の犠牲」というような乱れがみじんもなく、多喜二のまっすぐなまなざしと志を描いたことに感動した。しかも、いくつもの奇想天外な笑い(警察からの原稿依頼、ふたりともチャップリンに変装した特攻と多喜二の取り違えetc)に大いに笑って。その思いは今回も新たにした。そしてさらに、井上ひさしのこの作品によって、小林多喜二は新たな命を吹き込まれ、さらに人々の中で生き続ける力を得た、と思う。

    井上ひさしは小林多喜二を、戯曲の題材として長年温めてはいたが、実際に2009年の上演を決意した背景に、小林多喜二像についての新しい知見、研究の進展があった。そうパンフレットに島村輝氏が書いている。と同時に、もう一つ2008年の「蟹工船」ブームが作者の背中を押したことは間違いない。興行的にも注目度が高まるのは追い風になる。この時に書いていなければ、作者の病死によって多喜二劇は書かれずにおわった可能性は高い。間に合ってよかった。あれから10年過ぎてブームは去ったが、「組曲虐殺」は再演され続けている。「蟹工船」ブームが残した最大の遺産が「組曲虐殺」ではないだろうか。ブームに多少かかわった一人として、感慨深い。

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    2019/10/19 13:29

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